新着記事

【管理栄養士が教える減塩レシピ】|みずみずしい梨を食卓にも!「豚肉の梨生姜ソース」「梨とトマトのカプレーゼ風」

【管理栄養士が教える減塩レシピ】みずみずしい梨を食卓にも!「豚肉の梨生姜ソース」「梨とトマトのカプレーゼ風」

ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー

「アメリカン・ニューシネマの洗礼を受けた」映画|『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』【面白すぎる日本映画 第34回・特別編】

資産形成

ビジネスパーソンの預貯金平均額は20代452万円、30代682万円、40代952万円!|老後資金の資産運用、何してる?

毎週月曜日更新!「ニャンコ先生の開運星占い」(9/23~9/29)

生活は口のなかに表れる|『口がきれいだと、健康で長生きできる』

唾液が少ない人は要注意!口がきれいでない人は、長生きできない

招福 健康パートナー|健康と幸福を願って握る福の神のツボ押し

起業

定年後の起業が増加傾向!?|シニア層の4人に1人が「起業に関心あり」

【最後の恋】「うちでお昼はいかが?」高級マンションでひとり暮らしをする4歳年下の未亡人の誘惑~その2~

【最後の恋】偶然入った昼間のカラオケスナック。「いい声ね」と言われ、人生初のモテ期が始まり……~その1~

認知症になるのを予防して“もの忘れ”程度に留める方法とは

認知症になるのを予防して“もの忘れ”程度に留める方法とは?

LINE公式アカウントでも記事を配信中

友だち追加

お気軽に友達追加してください

サライ本誌最新号(クリックで試し読み)

サライ7月号付録「筋トレチューブ」トレーニング動画公開中!

通販別冊『大人の逸品』最新号はこちら

ピックアップ記事

  1. 東寺
  2. 世界遺産の構成資産内にある旧五輪教会。傘を開いたようなコウモリ天井の下、イエスを抱いた聖ヨセフ(イエスの養父)が佇む。手前の聖体拝領台(柵)の意匠は大浦天主堂(長崎市・世界遺産)と共通。鳥の声と波の音が堂内にこだまする。

>>過去の記事へ

サライの通販

>>過去の記事へ

趣味・教養

「見果てねど はた見あきねど我が夢は 四十余年の夢多き日々」(滝田樗陰)【漱石と明治人のことば363】

sousekiKotobaBanner2

文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「見果てねど はた見あきねど我が夢は 四十余年の夢多き日々」
--滝田樗陰

滝田樗陰は明治15年(1882)秋田に生まれた。東京帝国大学在学中から雑誌『中央公論』の編集の手伝いをしていたが、仕事の面白さに目覚めたのか、そのまま大学を中退し正社員となった。大正元年(1912)同誌主幹(編集長)。まだ無名だった室生犀星や佐藤春夫をはじめ、多くの書き手を見出し、育てあげた名編集者だった。

芥川龍之介が、滝田没後の『中央公論』の追悼特集号にこう綴っている。

「滝田君は熱心な編輯者だった。殊に作家を煽動して小説や戯曲を書かせることには独得の妙を具えていた。僕なども始終滝田君に僕の作品を褒められたり、或は又苦心の余になった先輩の作品を見せられたり、いろいろ鞭撻を受けた為にいつの間にかざっと百ばかりの短篇小説を書いてしまった。これは僕の滝田君に何より感謝したいと思うことである」

人をその気にさせて力を引き出し、いい作品を生み出させる。滝田はそのことに、人並み優れた手腕を持っていたのである。文壇関係者の誰もがその辣腕ぶりを認め、無名作家にとっては彼の人力車が自分のもとにやってくるのが夢であり、憧れだったという。

滝田は、夏目漱石のもとにも出入りしていた。とくに最晩年の1年余りは毎週のように漱石山房を訪れていた。この訪問は仕事というより、自身の趣味を満足させる意味合いの方が強かった。滝田は文人たちの揮毫(きごう)を収集するのを無類の楽しみとしていたのだ。

毎週木曜の面会日、滝田は昼過ぎになると誰よりも早く漱石邸に人力車でのりつけた。紙や筆、硯、毛氈、筆洗などをひと抱え、ごっそりと持ち込むと、自分で墨をすり、毛氈を敷き、紙を展(の)べて、一切の準備を整え、「さあ、先生、お書きください」と、ほとんど漱石の手をつかまんばかりにして、2、3時間のあいだ、ほとんど休みなしに書や絵をかかせたという。それも、「吾輩は猫である」と書いてくださいとか、「時鳥(ほととぎす)厠半ばに出かねたり」と書いてくださいとか、屏風にするからとか、この絵に賛を入れてくださいとか、いちいち細かな注文をつける。それでも、よほど書かせる呼吸がうまかったらしく、漱石は文句もいわず、言われるままに従っていたという。

あとから到着した門弟が、「滝田の奴は横暴だ」「先生を占領している」などと憤慨することも少なくなかったが、滝田はお構いなしにつづけていた。漱石が書いたものを翌週には表装して持参し、箱書きを求めるなど、気分を盛り立てるのも上手く、漱石は半分は好きな手習いをさせてもらっているような気持ちで、多くの書画をかいた。そして結果として、この滝田の働きによって漱石の多くの遺墨が後世に残されることになったのである。

掲出のような歌を残し、滝田は大正14年(1925)、43歳で没した。日頃から「太く短く」と口癖のように言ってもいたが、その思い通りに駆け抜けた人生だったのだろう。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

「サライおみくじ」で今日の運勢をチェック!おみくじには「漱石と明治人のことば」からの選りすぐりの名言が表示されます。どの言葉が出てくるか、クリックしてお試しください。
↓↓↓

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

関連記事

  1. 「秋立つや一巻の書の読み残し」(夏目漱石)【漱石と明治人のことば…
  2. 「年の暮れには追憶を、年の初めには希望を」(幸田露伴)【漱石と明…
  3. 「子供のために一流の文学者が進んで執筆しなければ嘘だ」(鈴木三重…
  4. 最晩年の谷崎潤一郎が愛する風景を詠んだ歌【漱石と明治人のことば3…
  5. 「世の中は根気の前に頭を下げる事を知っています」(夏目漱石)【漱…
PAGE TOP