今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「『鼻』だけでは恐らく多数の人の眼に触れないでしょう。触れても黙過するでしょう。そんな事に頓着しないでずんずん御進みなさい」
--夏目漱石
昨日掲載した芥川龍之介のことばを引き出した、夏目漱石の芥川宛て書簡(大正5年2月19日付)からの一節。この一節の前に漱石は
《あなたのものは大変面白いと思います。(略)敬服しました、ああいうものをこれから二三十並べて御覧なさい。文壇で類のない作家になれます》
と激賞。それでも、この作品だけではすぐに世間に認められることは難しいかもしれないが、そんなことは気にかけずに、自分自身の目指す道を躊躇わずどんどん進んでいきなさい、と励ますのである。
小説に限らず、仕事や学問の世界でも、同じような現象はままあるだろう。いい仕事をしていても、すぐには評価や目先の利益がついてこないかもしれない。でも、そこで嫌になって投げ出したりしては何にもならない。ノーベル賞につながるのも、地道な基礎研究の積み重ねの結果なのだ。
さて、芥川龍之介の場合、実際にはこの漱石書簡は文壇へのパスポートとなった。文豪・漱石のお墨付きを得ることで、まもなく芥川のもとには、一流文芸雑誌の『新小説』や『中央公論』から執筆依頼が舞い込み、作家としての歩みをはじめるのである。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。