今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身震いの出るほど好もしいの。どうしてこんなかと、自分でも思う位」
--伊藤左千夫
アイドルたちが、映画やテレビドラマで、時代ごとに繰り返し主役をつとめる名作文学がある。昭和文学を代表する、川端康成の『伊豆の踊子』や三島由紀夫の『潮騒』はその好例。そして、もうひとつ、明治期の小説ながら、伊藤左千夫の『野菊の墓』も、山口百恵や松田聖子をヒロイン役に迎え、何度も映像化されている。掲出のことばは、その『野菊の墓』の中に綴られたヒロイン民子の台詞。これに対し、主人公・政夫はこんなふうに言う。
「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」
民子は17、政夫は15。純愛だね。
このあとふたりは心ならずも引き裂かれ、ヒロインは哀しい最期を迎える。
作品のイメージと作者の風貌とは、必ずしも一致しないことがある。
川端や三島の写真は広く流布していて、知らぬ人はいないだろうが、さて伊藤左千夫の顔となるとどうだろう。知らぬまま『野菊の墓』を読んで感動した読者は、かなりの数にのぼるのではないだろうか。
かくいう私もそのひとり。中学1年の頃に作品を読み、のちに作者の顔写真に初めて接したとき少々戸惑った記憶がある。
山本周五郎の場合、生前、女性ファンのイメージを裏切るといけないからと、写真を撮られることに消極的な姿勢を見せていたという逸話がある。泉下の伊藤左千夫はどうだったろうか? あの牛飼いの詩人なら、そんなことを感じてしまう読者を、むしろ笑い飛ばしているかのようにも思えるのだが。
伊藤左千夫を後世に名を残す文学者たらしめたのは、正岡子規との出逢いによるところが大きい。子規と出逢い、短歌・俳句づくりに励み、やがて小説をも書いたのである。『野菊の墓』も子規の遺した俳句文芸雑誌『ホトドギス』に掲載され、これを読んだ夏目漱石が「名品です。自然で、淡泊で、可哀相で、美しくて、野趣があって結構です。あんな小説なら何百篇よんでもよろしい」と賞賛したことから評価が高まっていった。
もう少し時を逆上ると、伊藤左千夫がひとりの風流人として和歌や茶道を楽しむことを覚えたのは、伊藤並根という人物との交流がきっかけだった。並根は、伊藤左千夫より少し年上。左千夫の経営する牛乳搾取業「乳牛改良社」からほど遠からぬ場所で、同業の「得生舎」を営む仲間であり、風流の道の先輩でもあった。
左千夫の茶道趣味は、子規に師事するようになってからも途絶えることはなかった。茶釜持参で子規庵を訪れ、茶を点てたこともあった。このとき子規は、湯を沸かすときの遠い波を連想させるような音色から、こんな一句を詠んでいる。
「氷解けて水の流るる音すなり」
千葉県山武市の山武市歴史民族資料館には、左千夫愛用の茶釜が残されている。南部鉄製。胴回り約84センチ。先の子規の一句と重ねてみたくなる風格が漂う。そして、この茶釜の方には、『野菊の墓』と異なり、持ち主の少しいかつい風貌がぴたりと似合う。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。