今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「金は時々人が取りに来る。有るものは人に借すが僕の家の通則である。遠慮には及ばず」
--夏目漱石
明治40年(1907)7月23日付で、夏目漱石が門下生の野間真綱に送った手紙の中の一節である。野間真綱はこのとき結婚を控えていて、不足している結婚費用を同じ漱石門下の皆川正禧に借りようとしていたらしい。
漱石はそのことを知り、互いに余裕のない暮らしをしている門弟同士でそんなことをしていては気の毒だと、金を用立てることを申し出ているのだ。
まことに漱石という師は、若い門弟たちを物心両面から支えた。心のこもった的確なことばで癒しや励ましを与えるだけでなく、仕事を斡旋したり、人を紹介したり、飯を食わせる。そして、必要とあらば金も貸す。
しかも、ただ「貸してやる」というような言い方はしない。掲出のように、妙な遠慮などさせないようなユーモア交じりの言い回しを整えたり、また時には反対に、ポンと一本釘を刺したりもする。
このときの手紙では、冒頭、「暑いのに牛込迄通うのは難儀だなどというのは不都合だ。口を糊するに足を棒にして脳を空にするのは二十世紀の常である」と、労働意欲を引き出す一方で、こうも言い添える。
「君の事を心配したからというて感涙などを出すべからず。僕は無暗(むやみ)に感涙などを流すものを嫌う」
この8日後には、漱石はさらに、こんな手紙とともに郵便為替を送っている。
「拝啓 為替で十円あげる。新婚の御祝に何か買って上げようと思うが二十世紀で金の方が便利だろうと思うので為替にした。(略)君には毎度御菓子やら何やらもらっている。些少の為替では引き足らん。決して礼を云うてはいけない。この間印税がとれたから上げるばかりだ。上げなくってもどうせ使って仕舞う金だ。そう思ってうまいものでも両君で食い玉え」
受け取った野間真綱の泣き顔が目に浮かぶ。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。