今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「善とは一言にていえば人格の実現である」
--西田幾多郎

西田幾多郎といえば、日本を代表する哲学者であり、西洋哲学の研究と参禅の産物である名著『善の研究』で知られる。上に掲げたのは、その『善の研究』の中に綴られたことばである。

西田は自分の歩みを振り返って、こんな言い方もしている。

「私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した。その後半は黒板を後にして立った。黒板に向かって一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである」

しかし、その学究生活は、そう単純ではないし、必ずしも順風のものではなかった。明治3年(1870)石川県宇ノ気町(現・かほく市)の生まれ。幼いころから学力優秀で、年齢をいつわって二級飛びで石川県師範学校に入学するが、チフスに罹患して病気中退を余儀なくされた。入り直した第四高等中学校が肌に合わず、東京帝国大学を受験して転籍した。

東大卒業後、はじめて教壇に立ったのは尋常中学の分校。その後もいくつかの学校に籍を移し、15年の歳月を経てようやく、京都帝国大学の助教授となったのだった。

根底に宗教的精神が流れる西田哲学は、主としてこの京都で醸成された。西田は収入の大半を書籍代に費やしてしまうため、学者として名を成しても、貧相な借家住まいをつづけていた。見かねた関西財閥の雄・三井八郎右衛門が、京都市内に家を建てて西田に寄贈したという逸話が残る。学者も財界人も、高い志を有していた。

そんな西田邸の書斎部分が、生まれ故郷に移築・保存されていると知り、取材に訪れたことがある。12畳ほどの洋室で、書棚に囲まれた中に愛用の机があり、ありし日の主の姿が偲ばれた。西田幾多郎遺愛の一体の人形とも対面した。高さ11センチ。ゴム製。とぼけた顔の兵隊の敬礼姿の人形であった。

西田幾多郎は71歳の折、リウマチの大患にかかり、10か月余り病臥した。右手が麻痺してペンも握れない苦しみの中で、この人形をリハビリのために使ったという。あちこちが裂けてしまっているのは、経年による劣化以上に、リハビリで何度も握っては開き握っては開きしたためなのだろう。この丹念なリハビリによって右手の機能は回復し、まもなく西田は、中断していた『哲学論文集』の執筆を再開していくのである。

西田は妻・寿美との間に8人の子をなした。三女の静子が、亡き父を追憶してこんなことばを記している。

「父はいつも、子供に対して、誠実、あわれみをモットーに、人間として立派であることをのぞみ、また教えました」(『父母の憶い出』)

深い思索から生まれた難解な哲学も、かみ砕けば、こうしたわが子への教えに収斂されるのだろう。そして、子どもたちにとっては、父の存在そのものが「善」であったのだろう。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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