今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「日本では、太陽が照ると、森におおわれた山、庭園のような野は天国と化してしまう。六〇〇マイルも旅をしてきたが、日の光をあびて美しくならないような土地はほとんどなかった」
--イザベラ・バード

明治11年(1878)5月の横浜港に、長い汽船の航海を経て、ひとりのイギリス人女性が降り立った。彼女の名はイザベラ・バード。このとき御年46歳。

幼い頃から病気がちで脊椎に持病を抱え、青春期の大半をソファの上で過ごしたというこの女性は、どういうわけか、旅先ではすこぶる元気。日本人の通訳たったひとりを道連れにして、当時まだほとんど外国人が足を踏み入れたことのない「未開の地」、東北から北海道へと、颯爽と歩を進めていった。3か月に及ぶこのときの旅の様子を綴ったバードの著書が『日本奥地紀行』。上に掲げたのは、その中に綴られた一節である(高梨健吉訳)。

バードはこの旅の道中、人力車、馬、船を駆使していくが、各地で思わぬ苦闘を強いられる。3歳から乗馬に親しみ馬の扱いには慣れているはずなのに、日本の馬はまったく勝手が違い、馬の頸からすべり落ちて泥の中にとびこんで、むしろホッとする始末。蚤や虱に悩まされるかと思うと、うっとうしい梅雨に足止めをくらうわ、行く先々でふすまに穴を開けて覗かれるわ。雀蜂や虻に手をさされたり、大蟻に足をかまれて炎症を起こし苦しんだこともあった。

それでも、彼女は自然豊かな田舎の地を愛した。そもそも、最初に到着した横浜が、急速に西洋化の波が押し寄せていたため、美しさに欠ける死んだも同然の場所だと、バードの目には映る。それ故、妹への手紙に「真の日本に逃れて行きたい」と綴って、北へ向かったのである。

日光鬼怒川付近から眺める山々の景色に昔の神々の伝説が残っているのを感じ、新潟からの峠越えでたどり着いた山形・米沢盆地では「ここは東洋のアルカディア(桃源郷)だ!」と讃歎の声をもらす。そして、秋田・大館にくるころには、掲出のようなことばを綴り、ついには、晴れていさえすれば、日本の田舎の風景は、どこまでもまるで絵のように美しいのだと悟るに至る。

こうしたバードの著作を読むと、われわれ日本人が見過ごしがちな田舎の素晴らしさが改めて再認識され、旅に出てみたくなる。美しい風景に出会うだけで、心は洗われ、胸の奥からじんわりと元気がわいてくるに違いない。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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