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「秋立つや一巻の書の読み残し」(夏目漱石)【漱石と明治人のことば365】

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文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「秋立つや一巻の書の読み残し」
--夏目漱石

その日の朝、漱石はいつものように、自宅書斎の紫檀の文机に向かった。午前中のうちに朝日新聞に連載進行中の『明暗』1回分の執筆を終えるのが、この頃の漱石の日課だった。

ところが、1文字も書かぬうちに倒れた。家政婦のひとりが昼食前に服用する持薬をもっていくと、机の前の絨毯の上にうつ伏せに倒れている漱石を発見したのである。漱石は、胃潰瘍の発作にじっと耐えていたのだった。

駆けつけた鏡子夫人が漱石の傍らで言った。

「具合が悪いようでしたら床をとりましょうか?」

漱石は「ああ」と返事をして、こうつづけた。

「人間もなんだな、死ぬなんてことは何でもないもんだな。俺はこうやって苦しんでいながら辞世を考えたよ」

縁起でもないと思った鏡子はその言葉にとりあわず、床を延べ漱石を寝かせた。机の上の原稿用紙はまっさらなままで、右肩に「189 」という数字だけが書かれていた。前日に『明暗』第188 回の原稿を書き上げ、次の原稿用紙に心覚えの数字を記しておいたものであった。時に、大正5年(1916)11月26日。この病臥が、そのまま漱石の臨終につながっていく。

それから2週間後の12月9日の夕刻、家族や門弟、主治医に看取られ漱石は逝く。満年齢で50歳に2か月ほど足りない生涯だった。

これより3か月ほど前、大正5年(1916)9月2日付で、漱石は芥川龍之介あてに一通の手紙を書き送っている。芥川の小説『芋粥』を読んだ感想を記したもので、全体の出来栄えを称讃しながらも、あえて細かな難点を指摘している。「この批評は君の参考の為です。僕自身を標準にする訳ではありません。自分の事は棚へ上げて君のために(未来の)一言するのです」とある通り、芥川の才能の素晴らしさを認め、その将来に大きな期待を寄せるが故の批評であった。

そして、その手紙の末尾に綴り込んだのが掲出の句。そこには、鏡子が聞き取ることのなかった漱石の辞世に似た味わいが、すでにして現われている。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

【読者のみなさまへ】
これまで1年を通して毎日お届けしてきた『漱石と明治人のことば』は、今回をもって最終回となります。長らくのご愛読、ありがとうございました。ご感想や筆者・矢島裕紀彦さんへのメッセージなど、ぜひ下記へメールにてお送りいただければ幸いです。宛先メールアドレスは serai@shogakukan.co.jp です。

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