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西郷隆盛の妻が亡夫の銅像を見てつぶやいた衝撃の一言【漱石と明治人のことば156】

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今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「アラヨウ、宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ!」
--西郷いと

明治の元勲から西南戦争(明治10年)で一転、逆賊となった西郷隆盛だが、明治22年(1889)の恩赦を待つまでもなく、庶民の人気は一貫して根強いものがあった。

夏目漱石も西郷を好んでいた節がある。明治40年(1907)に漱石が東京朝日新聞入りを決断する際、ひとつの決め手となったのは、面会にきた主筆の池辺三山の、西郷隆盛を彷彿させる立派な風貌に打たれたためだったというのである。

幕末維新の偉人たちの写真は、多く伝わっている。坂本龍馬や高杉晋作、大久保利通、岩倉具視、山県有朋といった人々は、皆、写真が残っている。西郷隆盛の場合、錦絵などに描かれた肖像は伝わるが、写真は1枚も残されていない。西郷の実子でのちに京都市長をつとめた菊次郎も、「父は生前写真というものは唯の一度もとったことがありません」と証言している。

西郷の写真と思い違いされるものに、お雇い外国人のキヨソネによる半身の肖像画(コンテ画)がある。

非常に写実的なタッチで描かれているため、これが繰り返し複製されるうち、ともすると肖像写真であるかのように勘違いされてしまっているが、けっして写真ではない。あの絵は、実際は西郷没後6年を経た明治16年(1883)に描かれたもの。顔の上半分は実弟の西郷従道、下半分は従弟の大山巌をモデルとし、さらに近親者や知己の証言を組み入れて描き上げられた。

東京・上野の、高村光雲(高村光太郎の父)の手になる西郷像も、本人没後の作である。写真も残っていないので、頭から胴まではキヨソネが描いた肖像画を土台にし、胴から下は西郷が愛用したズボンを参考にしてつくられたという。

ちなみに、西郷像の傍らに付き添う犬は、光雲の弟子の後藤貞行の制作。兎狩りの得意な桜島産の薩摩犬がモデルである。西郷の愛犬は、実際には、もと徳川将軍家にいた「お虎」という名の洋犬だった。像の制作途中で洋犬は西郷像に似つかわしくないのではないかという話が出て、急遽、薩摩犬に代えられたのだという。

上野の銅像制作には、結局5年もの歳月を要した。完成したのは明治31年(1898)。除幕式には西郷隆盛未亡人のいと(糸子)も招かれた。そのとき、幕のはずされた銅像を見るなり、いとが思わず呟いたのが掲出のことば。東京ことばに言い換えれば、

「あらまえ、うちの人はこんな人ではなかったわ!」

となる。側でこれを耳にした西郷従道が、あわてて注意したという逸話が残されている。

来年のNHK大河ドラマでは俳優の鈴木亮平がこの薩摩の英傑を演ずるというが、西郷さん、ほんとは、どんな容貌の人だったのだろう?

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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