今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「日本の海端に、ココ椰子の実が流れ着くということは、決して千年ばかりの新らしい歴史ではなかったはずであるが、書物で海外の知識を学び取ろうとした者は、かえって永い間それを知らずにいた」
--柳田国男
書物から先人の智恵を学ぶことは、もちろん大切だが、ただ机上だけで考えていると、見逃してしまうことも少なくない。自然や社会の中に出て、体験的に感得することも重んじなければならない。そういうことだろう。『海上の道』より。
明治31年(1898)頃、まだ大学生だった柳田国男は体をこわし、三河(愛知県)の伊良湖崎でしばらく静養したことがあった。風の強かった日の翌朝など、海岸を散歩していると、流れ着いた椰子の実を見つける。地元の住民などは知っていても、一般には知られていない出来事だった。
柳田は帰京後、この話を友人である島崎藤村に聞かせた。すると、藤村はいたく感激し、「その話を僕にくれたまえ」と言った。こうして、やがて藤村のあの名詩『椰子の実』が生まれることになったという。
この椰子の実との遭遇は、後年、徹底したフィールドワークで、民俗学の新しい境地をひらいた柳田国男の原点ともいえる体験だったのかもしれない。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。