大納言経信(だいなごんつねのぶ、源経信)は、宇多天皇を祖とする宇多源氏の出身で、権中納言・源道方の六男として京都に生まれました。単なる公卿にとどまらず、和歌・漢詩・管弦のすべてに優れ、その多才ぶりから「三舟の才」と称されました。これは、白河院の大堰川行幸の際、和歌・漢詩・琵琶の三つの舟に分かれて才能を競う舟遊びが行われた時、遅れて到着した経信が「どの舟でも構いません」と言って、すべての分野で才能を発揮できることを示したという逸話に由来します。
経信は単に学問に秀でただけでなく、朝廷の礼式や作法である「有職故実」にも通じ、当時の知識人として第一級の人物でした。最終的には正二位・大納言まで昇進し、晩年は大宰権帥として九州に赴任。八十二歳のとき、任地で生涯を終えました。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
大納言経信の百人一首「夕されば~」の全文と現代語訳
夕されば 門田の稲葉 おとづれて 葦のまろやに 秋風ぞ吹く
【現代語訳】
夕方になると、家の門の前にある田んぼの稲の葉が(風に吹かれて)カサカサと音を立て、この葦で葺いた簡素な小屋に、秋風が吹きつけてくるなあ。
『小倉百人一首』71番、『金葉集』173番に収められています。この歌は、京都西郊の梅津にあった親戚の源師賢(もろかた)の山荘で開かれた歌会で「田家の秋風」という題で詠まれました。平安時代後期には、貴族たちの間で田園趣味が流行し、洛外に山荘を構えて風雅な遊びを楽しむことが盛んでした。
歌の技法を見ると、「夕されば」の「さる」は「移り変わる」の意味で、夕方になるという時間の推移を示します。「門田」は門前の田という意味で、最も大切にされた田地を指します。「おとづれて」は「音を立てて」の意味で、稲葉が風に揺れる音を表現しています。「葦のまろや」は芦で葺いた粗末な小屋のことですが、ここでは師賢の山荘を謙遜して表現したものです。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
大納言経信が詠んだ有名な和歌は?
経信の才能は、この一首に留まりません。彼が詠んだ他の歌も見てみましょう。

神垣に 昔わが見し 梅の花 ともに老木に なりにけるかな
【現代語訳】
神社の垣で昔私が見た梅の花は、私が老いるのと共に、老木(おいぎ)になったのだなあ。
『金葉集』516番に収められています。太宰府に赴任した晩年に詠んだ歌です。かつて父・道方が大宰権帥として筑紫に赴任した時に同行し、その地で見た梅の花が、自分が同じ職に就いた時には老木となっていたのを見て詠んだのがこの歌です。時の流れと人生の無常を静かに受け入れる、深い味わいのある歌といえるでしょう。
沖つ風 吹きにけらしな 住吉の 松のしづ枝を あらふ白波
【現代語訳】
沖では風が吹いたらしいな。住吉の岸辺の松の下枝を洗う白波よ。
『後拾遺集』1063番に収められています。後三条院の住吉社参詣の折に詠んだ歌です。『袋草紙』によると経信の自讃歌であり、死の直前、息子の俊頼を呼んで、この歌を『古今集』の29番・躬恒の歌と比べさせたとされています。
大納言経信、ゆかりの地
大納言経信のゆかりの地を紹介します。
大宰府
福岡県太宰府市は経信が晩年を過ごした地です。現在の太宰府天満宮周辺が当時の大宰府の中心地で、経信が父と共に見た梅の花にまつわる歌の舞台でもあります。
太宰府天満宮の境内には今も美しい梅が咲き誇り、経信の歌を偲ぶことができます。
最後に
「夕されば~」の歌は、寂しい秋の情景を描きながらも、その中に自然の音や気配を感じ取る、繊細で豊かな心の世界を私たちに見せてくれます。作者である大納言経信が、和歌や音楽に秀でた当代きっての文化人であったことを知ると、歌の味わいはさらに深まります。
何気ない日常の風景にも、少しだけ耳を澄まし、心を寄せてみる。そうすれば、私たちも経信のように、季節の移ろいや自然のささやきを感じ取ることができるかもしれませんね。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp










