参議篁(さんぎたかむら)とは、小野篁(おののたかむら)のことで、遣隋使・小野妹子の子孫です。若い頃は弓馬に明け暮れましたが、嵯峨天皇に諭され学問の道へ進みます。
その博識と才知は抜きん出ており、どんな難読漢字や片仮名も読み解いた逸話は有名です。「子子子子子子子子子子子子」を、「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子」と読み解いた話や、白居易の詩の誤りを指摘した逸話は、彼の才能を物語っています。
遣唐使副使として船の交換を巡り不服を唱えたほか、制度を批判する詩を詠み、嵯峨上皇の怒りを買って隠岐に流されます。しかし、文才を惜しんだ仁明天皇により赦免され、帰京後は東宮学士や参議などの要職に就きました。身長約190cmの巨漢と奇行から「野狂」とも呼ばれましたが、信念を貫き日本文学史に名を刻みました。
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(提供:嵯峨嵐山文華館)
目次
参議篁の百人一首「わたの原~」の全文と現代語訳
参議篁が詠んだ有名な和歌は?
参議篁、ゆかりの地
最後に
参議篁の百人一首「わたの原~」の全文と現代語訳
わたの原 八十島(やそしま)かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟
【現代語訳】
広い海原をたくさんの島々を目指して漕ぎ出してしまったと、都にいる人たちに伝えておくれ。漁師の釣り船よ。
『小倉百人一首』11番、『古今和歌集』407番に収められています。『古今和歌集』の詞書によると、「隠岐の国に流されける時に、舟に乗りて出で立つとて、京なる人のもとにつかはしける」とあります。
先述したように、篁は834年、遣唐使の副使に任命されますが、渡航は2度失敗。3度目の航海の際、大使の藤原常嗣と船の交換を要求され、激怒した篁は乗船を拒否。さらに遣唐使制度を批判しため、嵯峨天皇の怒りを買い隠岐に流刑となりました。そのときの船旅を思って詠んだ歌です。
「わたの原」とは大海原を指し、「八十島」の「八十」はたくさんという意味があるので、大海原に点々と浮かぶたくさんの島を表しています。「人には告げよ 海人の釣舟」と釣舟を擬人化して、京にいる人へ伝えておくれ、と呼びかけているところは孤独な心情が際立っています。
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(提供:嵯峨嵐山文華館)
参議篁が詠んだ有名な和歌は?
参議篁は、文才に優れていただけあり、多くの歌を残しています。その中から二首紹介します。
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思ひきや 鄙(ひな)の別れに おとろへて 海人の縄たき いさりせむとは
【現代語訳】
こんな境遇になると思っただろうか。都から鄙びた田舎に身を引いて、海人の手繰る縄を使って漁をするとは
『古今和歌集』961番に収められています。詞書(ことばがき、和歌の前書きのこと)には、「隠岐の国に流されて侍りける時によめる」とあり、実際に隠岐に流された後に詠んだ歌です。都での暮らしに比べ、田舎の地で海で魚を採ることぐらいしかない隠岐での暮らしの落差を詠っています。
花の色は 雪にまじりて 見えずとも 香をだににほへ 人の知るべく
【現代語訳】
白梅よ、花の色は雪にまざって見えないとしても、せめて香だけでも匂わせよ、人がそれと気づけるように。
『古今和歌集』335番に収められています。詞書には、「梅の花に雪のふれるをよめる」とあり、梅の花に雪が降り積もっている情景を詠んだ歌です。
参議篁、ゆかりの地
参議篁ゆかりの地を紹介します。
六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)
京都市東山区に位置します。篁は昼は朝廷に仕え、夜は閻魔庁の役人として冥界を行き来したという伝説があります。寺の裏庭には、篁が冥土へ通ったとされる井戸が現存し、近年「黄泉がえりの井戸」も発見されました。
六道とは、仏教でいう六種の冥界のことです。この寺が「六道の辻」として知られる由来は、仏教の教義に基づく冥界の分岐点であり、ここからは死後の輪廻を意味する道が開かれていると信じられました。篁の物語と寺の伝説は結びつき、この地が人の世の無常を象徴する場とされています。
最後に
小野篁の歌は、千年の時を経てもなお、私たちに深い感動を与えてくれます。それは数々の奇行や伝説がありながらも、自然への畏敬の念、人生の喜びや悲しみ、そして人間の本質を見つめる篁の眼差しが、歌を通して私たちに語りかけてくるからでしょう。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり
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国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館
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百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp
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