文/濱田浩一郎

竹中半兵衛像

『太閤記』のなかの竹中半兵衛

豊臣秀吉の弟・秀長を主人公にした大河ドラマ「豊臣兄弟!」において誰が秀吉の「軍師」竹中半兵衛重治を演じるかはなかなか発表されませんでしたが、2026年の1月7日、菅田将暉さんが演じることが公表されました。半兵衛は黒田官兵衛と並んで秀吉の「軍師」として著名ですが、その生涯については謎が多く、はっきりしたことが分かっていないのが現状です。

半兵衛は天文13年(1544)9月、美濃国大御堂(現在の岐阜県揖斐郡大野町)に生まれたとされます(天文3年に生まれたとする説もあります)。父は竹中重元とされますが、父の名についても諸説(例えば源介・道治など)あり明確ではありません。半兵衛の母は杉山久左衛門の娘であるとされます。半兵衛の父・重元は美濃国の戦国大名として有名な斎藤道三に従っていましたが、その道三は息子・義龍と対立し、ついには敗死してしまいます(1556年)。

さて少年期の半兵衛についても信頼できる一次史料はなく、後世の文献の記述に頼らざるを得ません。江戸時代初期の儒学者・小瀬甫庵が記した秀吉の一代記『太閤記』によると、半兵衛は14、5歳の頃から武略の英知(知恵)が人より優れており、凡人にはできぬ行動もあったとのこと。度量も海のように広かったと言います。戦を勝利に導くことを自分の務めと心得て、軍略の研究に励んでいたようです。よってその他のことを雑事と考えていたとのこと。半兵衛は言葉数は多い方ではありませんでしたが、時に発する言葉は道理に叶っていたと言います。出陣に際しては穏やかな馬に乗り、その泰然自若とした様は雷が落ちようが大鹿が飛び出して来ようが瞬きもしないかの如くであったと伝わります。半兵衛のこうした態度が影響したのでしょう。半兵衛が先陣や軍勢の最後尾にいる時は、兵士が安心していたとのことです。もちろんこれは『太閤記』という二次史料に記されていることですので、半兵衛の実像かは分かりません。

織田信長も注目した半兵衛の奇才

『太閤記』のみならず『武功夜話』にも半兵衛についての記述があります。『武功夜話』は尾張国の土豪・前野家の動向を記した覚書などを集成した家譜の一種であり、貴重な史料と言う学者もいる一方で「偽書ではないか」とその史料的価値に問題が付けられている文献です。

同書によると、半兵衛は「策を玩び常人にあらざる鬼骨の所行あり」(策を弄して常人ではない気骨の行動があった)として、信長も関心を寄せていたとあります。よって信長は使者を遣わし、半兵衛を「調略」しようとしました。ところが半兵衛は織田方に寝返ることをせず、信長は気分を害したと言います。斎藤氏の居城・稲葉山城が信長の手中に帰しても、半兵衛は他の国侍とは異なった対応をしたとのこと。多くの美濃の国侍が競うようにして信長のもとに伺候するなか、半兵衛はそのようなことはせず。家督を弟の久作に譲り、隠者のような日々を送っていたこともありますが「一人無為孤高」で過ごしていたのです。半兵衛が調略に応じなかったことにより気分を害した信長ですが、半兵衛のことが気になっていたようです。

信長は半兵衛の「奇才」を惜しみ、稲葉美濃守良通を遣わし、出仕を促したのでした。それに対し半兵衛は「近頃は病体であり、とてもご奉公することはできない。家督は弟の久作に譲り、自分は名利を捨て山中に入り、謹慎・蟄居している。弟の久作は牢人しておるが、元来、身体は強壮で武辺道一途の者」と回答。自分は出仕せず、弟の久作を推薦するのです。稲葉良通は半兵衛の痩せた身体を眺め、半兵衛の回答に「納得」したのでした。信長も半兵衛の回答に納得し、久作を召し出します。

 『武功夜話』は半兵衛を病弱で痩せていたと書いていますが、江戸時代中期に成立した逸話集『常山紀談』(著者は岡山藩に仕えた儒者の湯浅常山)は「謀略ある人なれども打見たる処は婦人のごとし」と記載しています。謀略に秀でた人ではあるが、見た目は女性のようだということです。戦に臨む際も「猛威」(激しい勢いや威力)はなかったともあります。そのような半兵衛でしたが、半兵衛が戦場に出れば士卒らは「戦わずして、既に勝ちたり」と勇み立ったとのこと。 

また同書には半兵衛とその子・左京(重門)との逸話も記されています。半兵衛はある時、まだ幼い左京に「軍物語」(いくさものがたり)をしていたのですが、突然、左京がその場を立ちます。半兵衛は「戦は国の大事である。どこに行くのか」と問い詰めるのです。すると左京は「厠(便所)に行く」と答えます。それに対し半兵衛は「ここに小便を垂れたとしても、軍物語の大事な席を立つなかれ」と怒ったとのこと。「軍師」半兵衛の戦や軍略に対する真剣さを示す逸話であります。『太閤記』『武功夜話』『常山紀談』などを素材として伝説のなかの半兵衛の姿を見てきました。半兵衛は言葉少なで、痩身あるいは婦人のような姿であったが、謀略に優れ、将兵の信頼を集めていたことが記されていました。

もちろんそれらは後世の史料に記されていることであり、創作も多いでしょうが「火のない所に煙は立たず」とも言いますので、半兵衛の「実像」の片鱗を示したものではないでしょうか。

【主要参考文献一覧】
・池内昭一『竹中半兵衛』(新人物往来社、1988年)

文/濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)

兵庫県相生市出身。皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師、大阪観光大学観光学研究所客員研究員を歴任。現在、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。
著書『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『あの名将たちの狂気の謎』(中経の文庫)、『超口語訳 方丈記』(東京書籍のち彩図社文庫)、『中学生からの超口語訳 信長公記』(ベストブック)、『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社)その他多数。

 

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