持統天皇(645~702年)は、日本第41代天皇で、父は天智天皇(中大兄皇子)、夫は天武天皇(大海人皇子)です。本名は鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)。弘文元年(672)の「壬申の乱」では、夫・大海人皇子(後の天武天皇)を支え、彼の即位後は皇后となります。朱鳥元年(686)の天武天皇崩御後、子である草壁皇子の即位を目指しましたが、草壁皇子の早世のため、自ら即位しました(690年)。
在位中は、律令政治の確立や戸籍制度の整備など、国家運営の基礎を築きました。また、持統8年(694)には、日本初の本格的な都「藤原京」を完成させ、夫の遺志を継ぎ飛鳥地域に政治の中心を構築しました。
彼女は美しい自然描写に優れた歌も残し、文化の面でも影響を与えました。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
目次
持統天皇の百人一首「春すぎて~」の全文と現代語訳
持統天皇が詠んだ有名な和歌は?
持統天皇、ゆかりの地
最後に
持統天皇の百人一首「春すぎて~」の全文と現代語訳
春すぎて 夏来にけらし 白妙(しろたへ)の 衣ほすてふ 天(あま)の香具山
【現代語訳】
春が過ぎて夏が来てしまっているらしい。夏になると真っ白な衣をほすという天の香具山なのだから。
『小倉百人一首』2番、『新古今和歌集』175番に収められています。『万葉集』には、「春すぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天(あめ)の香具山」とあります。
香具山は、畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)と並ぶ大和三山のひとつで、天から降ってきたという神話を持つ神聖な山。持統天皇は藤原京からこの山を眺めながら、春の終わりと夏の到来を感じ取り、真っ白な衣が干される光景を思い描いたのでしょう。
「夏来にけらし」という表現は、夏の訪れを確信する感覚を表しています。「白妙の衣」は、樹皮の繊維で織られた純白の布を指し、清らかさや新鮮さを象徴しています。「衣ほすてふ」は、当時の風俗を反映した伝聞の形で、夏に衣を干す習慣を示唆しています。このように、歌は香具山の緑と白の鮮やかなコントラストを描き出し、初夏の爽やかさを感じさせます。

(提供:嵯峨嵐山文華館)」
持統天皇が詠んだ有名な和歌は?
『万葉集』に歌を残しているものの、確実に持統天皇作といえるのは「春すぎて~」を含むわずか四首です。そのなかから一首をご紹介します。

北山に たなびく雲の 青雲の 星離(さか)り行き 月も離(さか)りて
【現代語訳】
北の山にたなびく青雲が遠くに行く。星を離れ、月からも離れて。
夫の天武天皇が崩御したときに詠んだ歌です。和歌の中では雲は死者の魂の暗喩として用いられます。ここでは、夫の天武天皇の霊を重ね合わせたようです。また、星や月は残された皇后や皇子を暗喩していると思われます。
持統天皇、ゆかりの地
持統天皇ゆかりの地をご紹介しましょう。
藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)
藤原宮跡は奈良県に位置し、日本史上最初で最大の都城、藤原京の中心施設である藤原宮があった場所です。藤原京は、天武天皇によって造営が開始されましたが、志半ばで崩御。その後、持統天皇が夫の遺志を継ぎ、694年に完成させました。都は16年間続き、平城京へ遷都されるまで政治の中心として機能しました。
現在では広大な野原が広がり、かつての大極殿跡には基壇が残っています。当時の様子を偲ぶことができ、歴史愛好家にとって貴重な場所となっています。
また、季節ごとに美しい花々が咲き誇り、訪れる人々の目を楽しませています。春には約250万本の菜の花、夏には11種類のハナハス、秋には一面のコスモスが咲き乱れ、壮大な花の絨毯を作り出します。
さらに、藤原宮跡は大和三山の絶好の眺望スポットとしても知られています。特に香具山を望む方向は遮るものがなく朝陽や夕陽は息をのむほどの美しさで、平成23年には「重要眺望景観」に指定されました。
最後に
和歌やその背景を知ることで、ただ「百人一首のうちの一首」としてではなく、その深い歴史や文化、そして詠み手の心情にまで思いを馳せることができます。香具山は今でも変わらぬ姿で奈良の地に佇んでおり、持統天皇が見た風景を、私たちも同じように眺めることができます。古代と現代をつなぐ、かけがえのない文化遺産として、これからも大切に守り継いでいきたいものです。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp
