ライターI(以下I):一条天皇(演・塩野瑛久)から皇位を譲られた三条天皇(演・木村達成)が矢継ぎ早に道長(演・柄本佑)を牽制するかのような人事を進めました。秘書室長のような職掌で、出世コースの役職である蔵人頭(くろうどのとう)に妻の藤原娍子(すけこ/演・朝倉あき)の弟藤原通任(みちとお/演・古舘佑太郎)をあて、蔵人として道長五男(倫子の三男)の教通(演・姫子松柾)を採用しました。
編集者A(以下A):道長には、正妻(北の方)である源倫子(演・黒木華)所生の頼通(演・渡邊圭祐)、教通、長家、二妻源明子(演・瀧内公美)所生の頼宗(演・上村海成)、顕信(演・百瀬朔)、能信(幼少期に「は君」として登場)ら6人の男子がもうけられました。以下に、道長の男子を生年順に並べてみました。位階は寛弘7年(1010)段階のものです。五男の教通が明子所生の兄らの位階を上回っているのがわかります。
頼通(倫子)992年生まれ(従二位→正二位に)
頼宗(明子)993年生まれ(正四位下)
顕信(明子)994年生まれ(従四位上)
能信(明子)995年生まれ(正五位下)
教通(倫子)996年生まれ(従三位)
長家(明子)1005年生まれ
I:劇中では道長三男(明子次男)の顕信が、長兄の頼通と比較して自分も早く公卿にしてほしい旨、懇願していましたが、二妻明子の息子は明らかに差をつけられていたということですね。
A:教通が蔵人に任ぜられたことを受けて兄の頼通が「なぜ私をさしおして教通が?」ということを言っていましたが、ここも肝かという気がします。三条天皇はまず、道長の正妻源倫子所生の兄弟間にくさびを入れた。その一方で、明子所生の顕信を蔵人頭に任命して、教通の上に立たせようと試みる。道長の頭の中では、倫子の息子たちは明子の息子よりも上に立つという考えですから、三条天皇の意向は道長への挑発とも受け取れるわけです。
I:だからこそ道長は、顕信の蔵人頭の就任を断ったということですね。ところが、蔵人頭を打診された顕信からすれば、道長ファミリーの分断を狙う三条天皇の意向に思いをいたすこともなく、自らの立身の種を摘まれてしまったと思い詰めて出家を決断したということですね。
A:三条天皇の狡猾な作戦であるというように読めるという脚本でしたね。それが違和感なく受け入れられるのは緻密に構成されているから。「平安のゴッドファーザー・道長」の苦悩を感じさせられる名場面になりました。
I:『小右記』や『栄花物語』では、道長が顕信の蔵人頭就任を断った事情にももう少し触れられているのですが、当欄では、脚本の流れに沿って言及しています。さて、今週はほかにも、三条天皇の攻勢が目につきました。道長を関白にしたいと要請し、道長がそれを断ると、三条天皇は愛妻藤原娍子を女御にしたいと道長に諮ります。同時に道長の次女藤原妍子(演・倉沢杏菜)も女御にするということでした。
A:女御は、ざっくりと説明すれば、皇后、中宮に次ぐ立場。皇后、中宮は公の立場になりますが、女御は公の立場ではありません。藤原娍子はすでに三条天皇の皇子を4人も生んでいたわけですが、この段階では皇后、中宮はおろか女御にもなっていなかったんですね。それが道長の台詞でも説明されました。藤原娍子の父藤原済時(なりとき)の最終官職は大納言で大臣まで昇進していない。だから女御になる資格はないと道長は三条天皇に説明するのですが、三条天皇は意に介しません。
I:三条天皇の母は、道長の姉の藤原超子ということで近いといえば近い関係なんですけどね。一条天皇より年長ですし、道長には含むところがあったのでしょう。
A:蛇足ですが、第66代一条天皇の崩御が寛弘8年6月なのですが、同じ年の10月には第63代にして、三条天皇の父帝になる冷泉上皇が崩御されています。『権記』を読んでいて気付いたんですが……。
I:ドラマの世界に没頭していましたが、冷泉上皇はこの時点でご存命だったのですね。
A:はい。当欄ではこれまでにも、冷泉系、円融系の天皇について触れてきましたが、ご当人はどのようにこの情勢を見ていたのか。気になりますね。
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