『紫式部日記』の誕生
I:さて、こうした中で、「中宮様のご出産の記録をつくってもらいたい」と道長が藤式部へ依頼します。
A:中宮彰子の出産、そして皇子誕生後の一連の儀式を記録している『紫式部日記』ですね。ちょうどこの頃は、『日本書紀』から始まり、『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』と続いた国史の編纂、俗に六国史といわれていますが、『日本三代実録』の完成(901年)後、続編編纂の動きはあったものの途中でとん挫している時期です。
I:六国史は漢文体ですが、この時期花開いた仮名文字で歴史を記録した方が、「読んでいてこっちの方が面白くない?」ということだったような気もします。
A:あ、意外とそうかもしれないですね。実際六国史より『栄花物語』のほうが読み物としては面白いですものね。もしかしたら、道長プロデュースで、藤式部には『源氏物語』や『紫式部日記』を、赤染衛門(演・凰稀かなめ)には歴史物語(『栄花物語』)を記述させたのではないかと思ったりします。
I:もしそのような意図があったとしたら、1000年後に『光る君へ』という形で、『栄花物語』や『源氏物語』をベースにした物語が紡がれているわけですから、道長の策略は見事に成功したと言っていいと思います。
A:なるほど。六国史の話題が出たので脱線しますが、『日本三代実録』以降途絶えていた国史編纂事業は、明治になって「再開」することになります。史料集という形で今も刊行が続いている『大日本史料』がそれです。東京大学の史料編纂所で編纂されている大事業。完結はいつになるのでしょうか。
【出産時の物の怪と寄坐。次ページに続きます】