「平安時代は性に奔放」では言い表せない
A:この話の重要なところは、「身に覚えがない懐妊」。仮に居貞親王と藤原綏子に関係があったのなら、ばれなかったのではないかということです。
I:確かにそうですが、親王と綏子の間に関係がなかったから、源頼定と密通したとも考えられます。とはいえ、身に覚えがないので調査を命じた居貞親王と劇中での宣孝の対応を対比すると面白いですね。宣孝は身の覚えのないまひろの懐妊を追及せずに、己の立身に利用しようとする。同じようなことが実際にあったのではないかということで「平安のリアル」ということなのですね。
A:そうです。そして、単に「平安時代は性に奔放」ということでは言い表せないことがあります。それは「生きることに常に全力である」ということです。
I:どういうことでしょう。
A:「平安貴族は意外に忙しい」と時代考証の倉本一宏先生はよく言っていますが、政(まつりごと)は主に午前中にこなし、漢詩や和歌、古典籍を学び、弓道や馬術の鍛錬も欠かさずに、夜ともなれば和歌などの教養を駆使して女性と情を通じようとする。まさに「生を駆け抜けている」という感がします。
I:疫病で突然命をなくしたりする様を見聞しているからかもしれないですね。「命ある限り、全身全霊で生き抜く」ということなんでしょうね。そのあたりは見習いたいと思います。
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