文/鈴木拓也

写真/高野尚人

無名の職人たちの手仕事によって生み出された、食器や衣類といった生活用品。

これに「美」を見出し、「民藝運動」と呼ばれる文化運動を展開したのが、柳宗悦や河井寛次郎ら、歴史に名をなす文化人である。彼らは、運動の一環として日本各地の職人に会い、多大な影響を与えた。

こうした民藝運動の師父たちの薫陶を受けた一人に、多々納弘光(たたのひろみつ)さんがいる。1927年、出雲大社の南東に位置する出西(しゅっさい)村(現出雲市斐川町出西)に生まれた多々納さんは、終戦とともに焼きものの道を志す。数人の仲間とともに始めた窯元だが、まったくの素人で右も左もわからない。そこから事業を軌道に乗せるまでの道程を綴ったのが、先般刊行された『出西窯と民藝の師たち 民藝を志す共同体として』(青幻舎)である。

使う人が喜ぶものをつくり続ける

本書で熱心に語られるのは、民藝運動家たちとの心の通った交流だ。

多々納さんは、たまたま読んだ柳宗悦の『私の念願』で説かれていた「用の美」という考えに心を打たれ、飾るような工芸品ではなく実用的な陶器をつくろうと決心する。しかし、仲間の同意は容易に得られず、知己のある染色家のすすめで河井寛次郎を訪ね、指導を懇請した。

河井は、「よし、ほんなら、わしもおまえたちの舟に乗ってやらあ」と快諾。京都から出雲まで来て、用の美を含むさまざまな話を若い陶工らに説いた。その時のことが、次のように記されている。

しばらく先生のお話を聞いて、わたしは先生に問いました。「われわれは美術学校を出たものなどおりませんし、ただ一所懸命に使ってくださる人が喜ぶものをつくり続ければいいのですか」と。すると先生は「そうだ。それに間違いはない」とおっしゃいました。これで何か気持ちのうえでは、すごくすっきりしました。その日、わたしたちの行く道は決まったといっても過言ではないでしょう。(本書045pより)

河井は去る前に、14行からなる「仕事のうた」を画仙紙に書き残した。それを多々納さんと仲間は毎朝詠唱した。また窯元の名前も、名月窯から出西窯へと変えたが、これは住み暮らす土地と共にありたいという民藝の心を意識したものであった。

民藝の世界観に引き込まれて

「民藝」という造語を生み出し、民藝運動の創始者となった柳宗悦も、出西窯を訪れている。河井の来訪からおよそ1年後の1951年のことであった。

多々納さんは、柳を迎えるにあたり、亡き父親が手に入れた隠元禅師の墨蹟と、餅などを入れる行器(ほかい)を客間に飾った。それを見た柳はいたく喜び、日本民藝館に譲ってもらえないかと聞いたという。墨蹟については、「柳先生ほどの人が褒められたものを差し上げることはできない」と、多々納さんの兄から止められ、行器を提供した。後日そのお返しとして、朝鮮李朝の面取りの白磁の壺が送られてきた。柳は、朝鮮の仏像や陶磁器を愛し、ソウルに朝鮮民族美術館を設立するほどであった。壺を受け取った多々納さんは、「李朝時代の朝鮮の名を立てることなく生きた陶工たちのようになれ、との思し召しだったのかもしれません」と、感激した。

その後も、柳は幾度となく出西窯を訪ね、助言や指導を授けた。5人の青年陶工は、柳の説く民藝の世界観に引き込まれ、製作物にもそれが反映された。

敬愛する師との別れに落涙する

多々納さんは、イギリス出身の陶芸家であるバーナード・リーチとも親交があった。

最初の出会いは1953年。布志名(ふしな)焼の舩木窯でリーチが製作をするというので、多々納さんたちは、10日あまり汽車で通い詰めた。そのときは、ウェットハンドルと呼ばれる技法で、把手つけの実習をしたという。ちなみにその技法は、現在の出西窯の職人にも受け継がれている。

舩木窯での対面からほどなく、リーチは出西窯にやってきた。そこでリーチは、把手のついた徳利をつくり、「これは絶対に売れるよ」と話したが、残念ながら日本人の受けはよくなかったというエピソードが開陳される。

リーチは、イギリスに帰国後、自身の工房の運営もあって再度の来日はなかなか果たせずにいたが、1961年と1964年に出西の土を踏む。3度目の来訪時、多々納さんたちは紅茶椀や砂糖壺など課題をいくつも与えられ、日中は作陶に励み、夜はリーチの訓話に耳を傾けた。2晩過ごして帰途につくリーチを見送るとき、「みんなで涙にくれた」という。おりしも時代は高度成長期のただなかで、洋風のものが生活に浸透しつつあった。このときつくった陶器は、その後長く出西窯のスタンダードウェアになった。

* * *

本書を読むと、導く者と導かれる者との優しさあふれる交流に心動かされ、そして仕事の真の喜びとはなにかを考えさせられる。うつわを愛するすべての人に読んでほしい1冊だ。

【今日の教養を高める1冊】
『出西窯と民藝の師たち 民藝を志す共同体として』

多々納弘光著
定価2200円
青幻舎

文/鈴木拓也
老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライターとなる。趣味は神社仏閣・秘境めぐりで、撮った写真をInstagram(https://www.instagram.com/happysuzuki/)に掲載している。

 

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