まひろは摂政に会える立場なのか?
I:現代的な感覚ではリストラされてしまった為時ですが、劇中ではまひろが左大臣家の源倫子(演・黒木華)の伝手を頼って、父為時の仕官について相談します。
A:為時の窮状を強調する場面ということになると思います。倫子にきっぱり断られたまひろは、さらに摂政に就任した兼家を訪ねます。これも為時の窮状を強調する場面として理解したいと思います。
I:父が散位、ざっくりいうと無職になると、一家も窮乏しますからね。実際にまひろが摂政の兼家に会おうとして会えるものなのかという問題はありますが、それだけ、為時一家が追い詰められ、必死だったという状況を強調、可視化したかった場面だと受け取りました。
長兄道隆の「中関白家」
I:寛和の変を受けて、藤原兼家一族の出世が始まります。まずは、長兄ということで道隆(演・井浦新)一家の「栄華」が描かれました。
A:道隆の息子、伊周(これちか/演・三浦翔平)、と定子(演・中村たんぽぽ)らが登場しました。7歳で即位した一条天皇の外祖父として摂政に任ぜられた兼家。そして兼家の嫡男として、幼帝の外叔父としての道隆一家の今後の栄華が約束されたという場面になりました。今後、伊周と道長は叔父、甥同士の権力闘争に入るわけです。
I:さて、そこに現れたのが、兼家一族の視点からもっとも功績のあった道兼(演・玉置玲央)です。蔵人頭に任ぜられます。現代的にいうと天皇の秘書室長でしょうか。花山天皇退位の経緯について、自分の功績が第一位と自負していた道兼にとって、なぜ自分を差し置いて兄の道隆なのか、と考えても不思議ではありません。
A:道兼の不満を察知した兼家は、道兼の功をねぎらい、今後の立身に期待を抱かせるような甘い甘い言葉をささやきます。これは現代もさまざまな組織で行なわれる常套手段でしょう。
I:こういう場でどのように不満を和らげるのか。胆力が問われる場面でもあります。さて、寛和の変で兼家が摂政になった際の息子たちの年齢を整理しておきましょう。天暦7年(953)生まれの嫡男道隆は30代前半の働き盛り。天延2年(974)生まれの息子伊周も現代でいえば中学生の年齢ですが、すでに元服を済ませていました。
A:道兼は応和元年(961)生まれで20代半ば。一方で道長は康保3年(966)生まれで20歳になったばかり。父兼家が摂政に任ぜられた時に20歳。この若さが今後もいろいろな意味でうまい具合に働きます。さて、この時の右大臣として登場した藤原為光(演・阪田マサノブ)は、兼家の弟になります(兼家が三男、為光が九男)。為光は母が醍醐天皇の皇女ということもあり、兼家と折り合いが悪かった兄兼通時代には兼家よりも官位が上位でした。花山天皇の女御藤原忯子(演・井上咲楽)の父ということもあり、今後も為光とその娘たちには注目していきたいと思います。
【まひろに求婚する道長。次ページに続きます】