文/池上信次
「ブギの女王」笠置シヅ子の生涯をモデルにしたNHK連続テレビ小説『ブギウギ』。日本の戦中、戦後すぐのジャズ・シーンも描かれているので、その時代の日本のジャズにあらためて興味をもった方も多いのではないでしょうか。では、そのとき「本場」アメリカのジャズ・シーンはどんな状況だったのでしょうか。その関わりを知れば、また新しい風景が見えてくるかもしれません。
まずは、「東京ブギウギ」について。作詞は鈴木勝、作曲は服部良一(1907〜1993)。笠置シヅ子歌唱によるレコードは1948年(昭和23年)1月に発売され(当時はSP盤)、この大ヒットが、笠置シヅ子が「女王」になるきっかけとなりました。『ブギウギ』ではそれに続く新曲として、「ジャングル・ブギー」「買い物ブギー」が紹介されていますが(本稿執筆時点)、実際はもっと多く、48年3月に「さくらブギウギ」、4月「ヘイヘイブギー」、5月「博多ブギウギ」、9月「北海ブギウギ」「大阪ブギウギ」、11月に「ジャングル・ブギー」と、怒涛のレコード・リリースが続いていました。その後も「ブギウギ娘」や「名古屋ブギウギ」などが続いて、「買い物ブギー」は1950年の6月のリリースです(以上作曲はすべて服部良一)。
さて、当時アメリカではどんなジャズが演奏されていたかというと……「東京ブギウギ」の前後、1946年〜1950年録音音源収録のジャズ・アルバムを列挙します。
チャーリー・パーカー:『オン・ダイアル』(Dial)、『オン・サヴォイ』(Savoy)、『ウィズ・ストリングス』(Verve)
バド・パウエル:『バド・パウエルの芸術』(Roost)、『ジャズ・ジャイアント』(Verve)
アート・ブレイキーズ・メッセンジャーズほか:『ニュー・サウンズ』(Blue Note)
ルイ・アームストロング:『サッチモ・アット・シンフォニー・ホール』(Decca)
スタン・ゲッツ:『オパス・デ・バップ』(Savoy)
セロニアス・モンク:『ジニアス・オブ・モダン・ミュージック』(Blue Note)
ファッツ・ナヴァロ:『ザ・ファビュラス・ファッツ・ナヴァロ』(Blue Note)
マイルス・デイヴィス:『クールの誕生』(Capitol)
エラ・フィッツジェラルド:『エラ・シングス・ガーシュウィン』(Decca)
このほか、LPアルバムとしてはまとめられていませんが、フランク・シナトラ、ナット・キング・コール・トリオがSPレコードを多く残しています。
※(順不同。タイトルはCD/LPのもの。当時はほとんどSPシングル盤でリリースされていました。ちなみに1948年はレコーディング・ストライキによって、大手レコード・メーカーでの録音はありませんでした)
日本で「ブギウギ」流行の時期、ニューヨークではチャーリー・パーカーが主導する「ビバップ」スタイルの全盛期でした。日本の「ジャズ」ミュージシャンたちもそれらを手本に、その時代の流れに遅れることなく活動し、人気を博していましたが(その紹介はまた別の機会に)、ビバップ以降のいわゆるモダン・ジャズが、日本で広く大ブームになるのはもう少しあとのこと。本物が「現物」で輸入された1952年のジーン・クルーパの来日公演あたりから爆発的に流行しはじめます。
クルーパの代表曲といえば「ドラム・ブギー」(オリジナルは1941年)。クルーパは初めてでも、「ブギー」は日本の一般音楽ファンにはすでに馴染み深い名前だったわけで、笠置=服部が作り出した日本の「ブギウギ」は、歌謡曲という舞台がメインでしたが、日本の第一次ジャズ・ブームの下地をしっかりと作ってくれていたのでした。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。