I:さて、今週も源倫子を囲む会の場面が描かれましたが、前週に登場した藤原兼家の妾である寧子(藤原道綱母/演・財前直見)をネタにしていました。

A:やや、ディスっていましたね。倫子の会では、藤原道綱母が詠んだ小倉百人一首にも選ばれている「嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものかはと知る(嘆きながら独り寝をする夜の明けるまでが、どんなに長くつらいものか、おわかりでしょうか)」を披講していました。

I:「さみしすぎ~」「『蜻蛉日記』をお書きになったお方のようにはなりたくありません」など能天気な声が飛び交いましたが、まひろは「身分の低い私が、身分の高い殿御に愛され、煩悩の限りに激しく生きたのでございます、という自慢話やも」と独自の意見を述べ、ほかの貴族子女とは一線を画します。

A:このまひろの台詞に対して「なるほど」と唸った人、「違うだろ」と感じた人、さまざまかと思います。道綱母が『蜻蛉日記』を認めた時期は、三男坊だった兼家もまだそこまで出世していたわけではないですから……。

I:なるほど。でも、それはさておき、この待つ身の女性の悲哀を赤裸々に表現した歌を「百人一首」に選定した藤原定家の意図を知りたくなりました(笑)。今までそんなこと思いもしなかったのですが、これも「大河効果」ですかね?  

A:この和歌の前段として、兼家の文箱から他の女性に宛てた文を発見したり、渡りがあった日にも「宮中でのっぴきならぬ用事があるのだった」といってすぐに出ていくので、あとをつけさせたら、別の女性のもとを訪ねていたというエピソードが書き連ねられています。何日も渡りがなかったことを嘆く記述が『蜻蛉日記』にあります。そうした「背景」が面白かったからかとも思ったりします。いずれにしても、大河ドラマを期に、この時代への関心が高まり、新たな研究成果がでてくることに期待したいですね。

I:この道綱母の百人一首に採用された和歌に対して、兼家がどんな返歌をしたためたのか。興味がある人は、『蜻蛉日記』をご覧いただければと思います。ちなみに当欄では原文、訳文、解説が同頁におさまっている『新編 日本古典文学全集13』を参照しています。

藤原忯子の悲しき最期。次ページに続きます

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