藤原忯子の悲しき最期
I:そうした中で、衝撃的な展開になります。花山天皇に入内し、寵愛された藤原忯子(演・井上咲良)が懐妊したのですが、健康を害している様子が描かれました。
A:健康を害した忯子と花山帝の関係については『栄花物語』に記されています。懐妊した忯子は重い悪阻に悩まされたのでしょうか、食が細ってしまったそうです。体調もすぐれないため妊娠3か月に里に下がるべく花山帝に奏上したそうですが、許されたのは妊娠 5か月になってからだったそうです。
I:養生してもなかなか回復しなかったそうですね。おいたわしい話です。
A:『栄花物語』によると、里で療養している忯子に対して花山帝は「会いたい」と懇請し、やむなく忯子は病をおして参内したそうです。参内してどうなったか。ここは『栄花物語』から引用しましょう。「かくて参らせたまへれば、あはれにうれしう思しめして、夜昼やがて御膳にもつかせたまはで入り臥させたまへり。〈あさましうものぐるほし〉とまで内裏(うち)わたりには申しあえり」です。
I:現代語訳では、「こうして女御が参内なさったので、帝は心底からうれしくおぼしめして、夜も昼もそのまま、お食膳にもおつきにならず、お部屋に入って添い寝してばかりいた。〈あまりといえばあまりの愚かしさよ〉と、そうまで宮中ではみな噂申している」ということになります。
A:床に臥している忯子をわざわざ呼び出して、食事も取らずにずっと同衾していたというのです。にわかに信じ難い描写ですが……。
I:『栄花物語』の作者だといわれているのが、『光る君へ』劇中で源倫子の集いを仕切っている赤染衛門(演・凰稀かなめ)というのが面白いですよね。
A:この忯子は藤原為光の娘。為光は、藤原兼家の弟(兼家が三男、為光が九男)ですが、母親が醍醐天皇の第十皇女ですから、忯子は醍醐天皇のひ孫で宇多天皇の玄孫になります。蛇足ですが、源倫子は宇多天皇のひ孫になります。
I:兼家からすれば、忯子が花山天皇の皇子を生めば権勢が衰えることになりますものね。まあ、それで安倍晴明(演・ユースケ・サンタマリア)に呪詛を依頼していたわけですが……。
A:忯子は現代でいえば、高校生の年齢で亡くなりました。あまりにも悲しい出来事ですね。
【同時代にいた源信と道長。次ページに続きます】