藤原穆子にまつわる逸話
反対する雅信を説得し、娘・倫子と道長の結婚を許可した穆子。彼女の予想通り、道長は氏長者として権勢を振るうようになり、二人は彰子(しょうし)や頼通(よりみち)などの子宝に恵まれることとなりました。
その後、正暦4年(993)に雅信が亡くなると、穆子は出家して一条尼と称されるようになります。そして、長和5年(1016)、86年の生涯に幕を閉じることとなりました。
道長との結婚を望む倫子の肩を持ち、支え続けた穆子。二人の結婚後も、季節ごとに贈り物を贈るなど、細かな配慮を欠かさなかったとされます。また、二人の間に生まれた子どもたちのことも、大変かわいがっていたそうです。
倫子は、そんな優しい母・穆子に深く感謝し、彼女が70歳になる年には、修法(しゅほう、災いを祓って福を祈る加持祈祷の法)を盛大に営んだと言われています。家族思いで、人の気持ちに寄り添うことができる優しい穆子を思い浮かべることができる逸話ではないでしょうか?
まとめ
夫を説得し、娘・倫子と道長を結婚させた藤原穆子。彼女がいなければ、道長が権力の絶頂を迎えることはなかったかもしれません。また、猛反対していた雅信も、家族思いの優しい穆子の意見だからこそ、受け入れることができたのではないでしょうか?
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/とよだまほ(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP: http://kyotomedialine.com FB
引用・参考図書/
『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞出版)
『日本人名大辞典』(講談社)