はじめに-藤原為時とはどんな人物だったのか?
藤原為時(ふじわらのためとき)は、平安時代中期の漢詩人です。『源氏物語』の作者・紫式部の父としても知られ、彼女の執筆活動に大きな影響を与えたと言われています。冷泉(れいぜい)天皇の第一皇子・花山(かざん)天皇の即位とともに、式部丞(しきぶじょう)・蔵人(くろうど)に任命された為時。
しかし、花山天皇退位に伴って失職し、その後、越前守・越後守に任命されることとなります。文才に恵まれ、宮廷詩人としての地位を確保していた為時は、藤原道長やその息子・頼通(よりみち)など、上級貴族たちが集まる詩会などにも、顔を出していたそうです。
才気煥発な娘・紫式部を、文学の世界へと導いた人物だと言われることもあり、教養が深いイメージがありますが、実際の藤原為時はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。
2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、下級貴族でありながら和歌や漢籍に精通し、まひろ(紫式部)に文学の素養を授けた人物(演:岸谷五朗)として描かれます。
目次
はじめに―藤原為時とはどんな人物だったのか?
藤原為時が生きた時代
藤原為時の足跡と主な出来事
まとめ
藤原為時が生きた時代
藤原為時は、生没年不詳です。長徳2年(996)に、越前守に任命されたという内容が、『今昔物語集』に記されているため、おそらく天暦4年(950)頃に生まれたのではないかと推測できます。為時が官人として活躍していた頃、天皇家との結びつきを強めた藤原氏が勢力を拡大していました。
道長の代で藤原氏は最盛期を迎え、為時はまさにその時代を生きることとなったのです。
藤原為時の足跡と主な出来事
藤原為時は、藤原氏が貴族社会の頂点に立った時代を生きた人物です。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
官人として仕える
藤原為時は、10世紀半ば頃、藤原雅正(まさただ)と右大臣・藤原定方女(さだかたのむすめ)のもとに生まれました。平安時代を代表する貴族・藤原氏の一族ではありますが、上級貴族の道長たちとは違って、為時は下級貴族だったと言えます。
しかし、彼には和歌や漢詩の優れた才能がありました。菅原道真(みちざね)の孫にあたる文章博士・菅原文時(ふみとき)に師事した為時は、彼のもとで紀伝道(漢文学・中国史などの学問)を学び、文人となります。
そして、永観2年(984)、花山天皇の即位に伴って、為時は式部丞・蔵人に任命されたのです。式部丞とは、文官の人事・教育などを担当した式部省の判官の総称で、紫式部の名前も父・為時の役職に由来しています。
当時の貴族社会では、和歌や漢詩に優れていればいるほど出世する可能性が高く、為時のような文人は重宝されていたと言えるでしょう。また、為時は才能ある娘・紫式部に、文学を教授したとも言われ、彼女の執筆活動のきっかけを作った人物であると考えることができます。
優れた才能を持ち、官人として宮中に仕えた為時。しかし、花山天皇が出家したことで、為時は失職してしまうのです。
【越前守・越後守に就任、為時にまつわる逸話。次ページに続きます】