はじめに-藤原道長とはどんな人物だったのか?

藤原道長(ふじわらの・みちなが)は、平安時代中期の公卿です。上級貴族として生まれた道長ですが、五男だったこともあり、出世は難しいと考えられていました。しかし、疫病が流行したことで、兄が次々と病没。姉・詮子(せんし)の支えもあって、道長は政界の頂点に立つことになるのです。

その後、娘たちを次々と天皇の后にし、外戚となって権勢を振るった道長。有名な望月の歌にもある通り、この世の全てを手に入れた最高権力者というイメージがありますが、実際の藤原道長はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。

2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、後に貴族社会の最高権力者となる道長(演:柄本佑)が、まひろ(紫式部)と特別な絆で結ばれていく様子が描かれます。

藤原道長

目次
はじめに―藤原道長とはどんな人物だったのか?
藤原道長が生きた時代
藤原道長の足跡と主な出来事
まとめ

藤原道長が生きた時代

藤原道長は、康保3年(966)に生まれます。9世紀の半ばまでは、桓武(かんむ)天皇や嵯峨(さが)天皇が、ほかの貴族たちをおさえて強い権力を持っていました。しかし、次第に藤原氏が天皇家との結びつきを強め、勢力を拡大。道長が生まれる頃には、藤原氏の勢力は不動のものとなっていたのです。

道長は、藤原氏の中でも特に格式の高い北家に生まれ、やがて全ての権力を掌握することになります。

藤原道長の足跡と主な出来事

藤原道長は、康保3年(966)に生まれ、万寿4年(1027)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

藤原北家に生まれる、兄・道隆と覇権争いを繰り広げる

藤原道長は、康保3年(966)、藤原北家の太政大臣・藤原兼家(かねいえ)の五男として生まれます。道長が生まれた頃には既に、藤原氏は栄華を極めていました。藤原氏は、南家・北家・式家・京家に分家していましたが、その中でも特に勢力の強かった北家に生まれた道長。

26歳の若さで権大納言(ごんだいなごん)に任命され、順調に官途を辿りました。しかし、道長は五男だったため、兄たちほどの出世は見込めないと考えられていたのです。道長自身も、そのことについては十分自覚していたと言えるでしょう。

長徳元年(995)、そんな道長の人生を大きく揺るがす出来事が起こります。二人の兄が、流行りの疫病に罹り、亡くなってしまったのです。後継者の地位を巡って、道長はもう一人の兄・道隆(みちたか)と対立します。激しく争った両者ですが、姉・詮子は道長を支持しました。

間もなく、道隆が病死してしまったため、長徳元年6月、右大臣に任命された道長は、政権の座につくことができたのです。

政権の座につき、外祖父として摂政に任命される。次ページに続きます

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