はじめに-源倫子とはどんな人物だったのか?
源倫子(みなもとのともこ、または、りんし)は、平安時代中期の貴族です。身分が高く、天皇の后にて考えられ、養育された倫子。父親の反対を押し切って、藤原北家の道長と結婚し、彰子(しょうし)や頼通(よりみち)など、子宝に恵まれることとなりました。
道長は、倫子との間に生まれた娘たちを次々と天皇の后につけ、外祖父として権勢を振るったのです。夫・道長の出世を陰ながら支えた良妻というイメージがありますが、実際の源倫子はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。
2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、大らかさと強さを兼ね備え、道長の出世を支えた嫡妻(演:黒木華)として描かれます。
目次
はじめに―源倫子とはどんな人物だったのか?
源倫子が生きた時代
源倫子の足跡と主な出来事
まとめ
源倫子が生きた時代
源倫子は、康保元年(964)に生まれます。倫子が生まれた頃、藤原北家出身の兼家と、その兄・兼通が激しい権力争いを展開していました。兼通の病没後、氏長者(うじのちょうじゃ、一族の中の最高権力者)となり、栄華を極めた兼家。
藤原氏の勢力はますます強くなり、倫子も彼らと深く関係していくこととなるのです。
源倫子の足跡と主な出来事
源倫子は、康保元年(964)に生まれ、天喜元年(1053)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
道長と結婚する
源倫子は、康保元年(964)、左大臣・源雅信(まさのぶ)と藤原穆子(ぼくし)のもとに生まれます。父・雅信は宇多天皇の孫であり、母・穆子は三十六歌仙の一人である藤原朝忠(あさただ)の娘です。当時の貴族社会では、親の社会的地位が子どもの出世にも大きく影響しました。
そのため、倫子は非常に強い後ろ盾を持っていたと言えます。また、上級貴族である倫子は、幼少期から天皇の后になるための教育を受けていたそうです。しかし、北家出身の道長に見初められ、彼との結婚を望むようになりました。
道長は、政界を牛耳っていた兼家の息子ですが、五男であったため出世は見込めないと考えられていました。そのため、道長では釣り合わないと考えた父・雅信は、彼との結婚を猛反対したのです。これを説得したのが、母・穆子であると言われています。
道長は将来必ず大成するという穆子の説得の甲斐あって、雅信は倫子と道長の結婚を許したそうです。永延元年(987)、念願かなって道長と結婚した倫子。穆子の予想通り、道長はその後、華々しい出世の道を突き進むこととなったのです。
【藤原氏繁栄に貢献する。次ページに続きます】