文才に優れ、容姿は「光源氏もかくありけむ」

権力闘争に翻弄されながら、伊周は文学的才能を発揮していました。平安時代後期に成立した歴史物語『大鏡(おおかがみ)』には、「御ざえ日本には余らせたまへる」、すなわち、その才能は「日本の中ではもったいない」とまで記されています。

実際、一条天皇には早くから漢籍の講義を行なっていました。また、詩文集『和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)』、漢詩集『本朝麗藻(ほんちょうれいそう)』、漢詩文集『本朝文粋(ほんちょうもんずい)』に優れた漢詩文を残し、『後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう)』などの勅撰和歌集に、6首の和歌が選ばれています。宮中で高く評価されていたことの証しです。

作品名:後拾遺和歌集(中院切)
出典元:出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/B-2896?locale=ja

また、伊周はあか抜けた人物として評判だったようです。たとえば、伊周と同時代を生きた清少納言の『枕草子』にも伊周は度々登場し、ファッションセンスのよいおしゃれな貴公子として描かれています。

やはり平安後期の歴史物語『栄花物語(えいがものがたり)』では、「太りきよげに、色合まことに白くめでたし。かの光源氏もかくやありけむと見たてまつる」の一説もあり、光源氏のモデル候補の一人にあげられています。絵巻を見てもわかるように、当時はぽっちゃりが美しいとされていたようで、現代的な美意識とは少し違うかもしれません。けれども色白で美しかったことがよくわかります。

関白家の貴公子・伊周は、最終的に権力争いから脱落しますが、才能や容姿などで長く語り継がれました。

まとめ

藤原伊周は、権力争いに敗れ、若くして失意のうちに亡くなりました。それゆえ道長の陰に隠れ、これまでは目立つ存在ではありませんでした。けれど、光源氏のようと賞されるほど色白で美しい容姿を持つ伊周は、私たちのイメージする平安貴族そのもの。優れた漢詩や和歌を残した文才にも注目したいものです。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

文/深井元惠(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP: https://kyotomedialine.com FB

引用/参考文献
日本大百科全書(小学館)

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