拝謁の時刻に遅刻すると、幕府の懲罰が!
拝謁の時刻に遅刻すれば、幕府の懲罰が待っていたが、そもそも、当時は一番乗りが武門の名誉とされた時代だった。遅参はこれ以上ない恥辱とされていた。つまり、時間にかなり余裕を持って出発しているのは、江戸城周辺の大混雑に巻き込まれるのを懸念したことに加え、遅参を恥辱とみなす社会意識が大きなウェートを占めたのである。
大手門の前に到着した登城行列は、「下馬」という札が立てられた場所で人数の大半がとどまることになる。この場所で、大名が下城してくるのを待ったのである。
大手門は、大名も駕籠に乗ったまま潜れた。行列の人数は10人前後で、駕籠かき4人、挟箱持ち1〜2人、草履り取り1人、供侍5人前後という陣容だった。
しかし、大手門を過ぎて大手三之門の前まで進むと、「下乗(げじょう)」という札が現れる。ここでは、御三家以外の大名は駕籠から降りなければならなかった。駕籠から降りた大名は大手三之門の前に架かる下乗橋を徒歩で渡り、三之門を潜る。その折、大名が連れてきた供侍の数は約半分に減らされている。
続いて中之門が現れるが、御三家といえども、ここで駕籠から降りて徒歩で門を潜らなければならなかった。各大名が連れてきた挟箱持ちも、中之門の前までだった。
本丸への入口に立つ中雀門を潜ると、ようやく本丸御殿の玄関が現れる。玄関に上がる際、大名は腰に差した両刀のうち大刀を抜いて、供侍の一人に預けた。刀番である。草履は草履取りに預けた。刀番も草履取りも、大名が拝謁の儀式が終了して戻ってくるまで玄関の外で待つことになる。
御殿内では、大名一人で行動した。まずは殿席に向かい、拝謁の時を待つのである。
監修・文/安藤優一郎
『江戸三百藩大名列伝』
サライ編集部/1,870円/中A4判/144ページ
好評発売中
ISBN 978-4-09-103555-4
試し読みできます!
↓↓↓
https://www.shogakukan.co.jp/books/09103555