取材・文/沢木文
結婚25年の銀婚式を迎えるころに、夫にとって妻は“自分の分身”になっている。本連載では、『不倫女子のリアル』(小学館新書)などの著書がある沢木文が、妻と突然の別れを経験した男性にインタビューし、彼らの悲しみの本質をひも解いていく。
専制君主のような父親と従順な母親
お話を伺った、文明さん(仮名・62歳・介護施設職員)は2年前に結婚30年の妻が突然失踪した。
「5歳下の妻と私は見合い結婚でした。大学も男ばかりの都内の国立大学だったので、女性と接する機会が少なかったので」
文明さんは、22歳の時に、製鉄関連会社に就職しました。
「仕事は楽しかったです。自分で生きる喜びというか、解放感のようなものを味わいました。そのまま独身のアパート暮らしでもよかったのですが、27歳の時に上司から『家がないと嫁さんをもらえないぞ』と言われ、渋谷区のはずれにあるマンションを購入。もちろん会社の住宅財形制度を使いました。そして、29歳の時に別の上司から『そろそろ身を固めなさい。社会的に信頼されないぞ』と言われて、妻を紹介されたのです」
結婚相手は誰でもよかった、という文明さん。恋愛結婚が主流の時代に、上司が勧める相手と結婚したのは、文明さんが育った背景にもある。
「父親は石油会社の会社員でした。旧帝国大学を卒業しており、無茶苦茶プライドが高かった。また、戦争を経験している世代だから、とにかく自分の言いなりにならないと、容赦なく鉄拳が飛んできた。物惜しみが激しくて、米粒一つさえムダにするのを許さなかった。癇癪持ちで、母はしょっちゅう殴られていました。幼い頃の兄と私は息を詰めるように生活していましたね。おもちゃをねだろうものなら、『贅沢を言うな!』と一喝。母の方を見ると、『お父さんがそう言っていますからね』と悲しそうな顔で言う。とはいえ母は、“有名な会社のエライ人の奥様”であることを誇りにしていたようなところがありました。家の外に出れば、皆にうらやましがられていましたから。母は私が20歳の時に50歳になるやならずでクモ膜下出血で亡くなったのです。記憶に残っている母は、いつも伏し目がちにはにかんでいる、ちょっと猫背な姿です」
【父親に反発しながらも、その影響を引きずってしまう。次ページに続きます】