藤原道隆と結婚する
宮仕えの経験があり、学才豊かだったとされる貴子。後に関白となる道隆は、貴子の魅力に惹かれ、彼女のもとに足繫く通うようになったそうです。貴子のもとを訪れた道隆を一目見た成忠は、彼が将来大成することを予見し、二人の結婚を許したという逸話が残されています。
その後、道隆と結婚した貴子は、定子や伊周、隆家を授かることとなりました。成忠の予想通り、関白となって政界の頂点に立った道隆。一条天皇の中宮に娘・定子をつけ、中関白家(道隆の家系)を繁栄させることに成功したのです。
また、貴子は教育に力を入れたとされており、子どもたちは皆、若年から漢才の世評が高かったそうです。中宮定子に仕えた清少納言は、『枕草子』の中で、彼女の学才を高く評価しています。教養深く、優秀だったとされる定子は、母・貴子の影響を色濃く受けていたと考えられます。
中関白家の繁栄を支えた貴子は、長徳2年(996)に生涯を閉じました。
まとめ
学才に長け、中関白家の繁栄に大きく貢献した高階貴子。高い教養を兼ね備えた貴族たちの中でも、群を抜いて優秀だったことが分かります。教養深く、子どもたちの養育にも力を入れた貴子は、まさに平安貴族の鑑とも言える存在だったのではないでしょうか?
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/とよだまほ(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
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引用・参考図書/
『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞出版)
『日本人名大辞典』(講談社)