鳥居彦右衛門(右/演・音尾琢真)に伏見を託した家康(演・松本潤)。(C)NHK

ライターI(以下I):『どうする家康』第41回では、冒頭に家康暗殺計画の嫌疑をかけられた面々を詮議(せんぎ)する場面が描かれました。

編集者A(以下A):秀吉(演・ムロツヨシ)亡き後、徳川家康(演・松本潤)、前田利家(演・宅麻伸)、毛利輝元(演・吹越満)、上杉景勝(演・津田寛治)、宇喜多秀家(演・栁俊太郎)の五大老に、前田(徳善院)玄以(演・村杉蝉之介)、石田三成(演・中村七之助)、浅野長政(演・濱津隆之)、増田長盛(演・隈部洋平)、長束正家(演・長友郁真)の五奉行という「秀頼殿の10人」が政務を司るということになりました。ところが秀吉が亡くなって7か月ほどで前田利家が亡くなり、石田三成が佐和山への隠棲を強いられます。

I:五大老五奉行が、四大老四奉行になったわけですね。

A:今週描かれた、浅野長政、土方雄久(演・水野友則)、前田利長(演・早川剛史)らと家康がやり取りする場面は、彼らが「家康暗殺」を計画したものの、五奉行のひとり増田長盛の密告で露見したというくだりになります。

I:真相はともかくこのような状況になったのは事実のようですね。

A:この中で土方雄久(ひじかたかつひさ)という人物はあまり知名度がないと思いますが、織田信雄(演・浜野謙太)の家臣出身で、「雄」の字は信雄からの偏諱。土方家は、江戸時代に伊勢菰野藩主を務め、「雄」の字を通字としていました。むろん、幕末の土方歳三とはまったく関係ありません。

I:なるほど。

A:劇中で浅野長政が武蔵府中に蟄居とありました。この際に家督は嫡男の幸長に譲られるわけですが、後年、浅野長政に対して、常陸に隠居料として五万石の領地が与えられます。この五万石が長政の死後に三男長重に与えられ、転封したのが播州赤穂藩になります。

I:赤穂事件の小さな小さな種が撒かれた場面だったんですね。

A:なにはともあれ、ここまでで秀吉の死からわずか1年3か月。「秀頼殿の10人」が三大老三奉行になったわけです。

越後から引っ越ししたばかりの上杉家

五大老のひとり上杉景勝(演・津田寛治)。

I:そして、場面は五大老のひとり上杉家に転じます。当主上杉景勝は、謙信の養子ですね。

A:謙信亡き後、景勝は小田原北条氏から養子になっていた景虎との家督争い(御館の乱)に勝利しますが、その混乱の中で、織田信長軍(柴田勝家が大将)の侵攻を受けてしまいます。魚津城の攻防で、滅亡を覚悟するような戦況でしたが、そのとき発生したのが本能寺の変。九死に一生を得た景勝は、以後一貫して秀吉の配下として活動します。

I:本能寺の変がなかったら名門上杉家が滅亡していたのかもしれないんですね。さて、上杉景勝が、本拠地の越後春日山城から会津への移封を命じられたのが秀吉の死の半年ほど前。慶長3年の3月に初めて会津に入城し、8月の秀吉の死を契機に上洛。1年ほど在京して帰国したばかりというタイミングですね。

A:上杉景勝の肩を持つわけではありませんが、権力者である秀吉がこの世を去り、情勢が混沌とする中で、周囲には伊達政宗や最上義光など野心ギラギラの大名が虎視眈々と会津の新領主景勝の動向に注目している。領内の軍備を整えるのは当たり前といえば当たり前のことだと思うのですが……。

I:最初にいちゃもんをつけたのは景勝旧領の越後に新たに入った堀秀治のようですね。

A:それがごちゃごちゃした結果、上杉景勝家臣直江兼続による「直江状」を発することになるわけですね。劇中ではわりとあっさりでしたね。

I:有名な直江状。直江兼続が主人公だった『天地人』(2009年)で妻夫木聡さんが演じていたのが懐かしいですね。

A:いちゃもんといえばいちゃもんかと思いますが、今後も「いちゃもん」的な行動が頻発しますから、注目ですね。

リーフデ号事件とウィリアム・アダムス

ウィリアム・アダムス(左/演・村雨辰剛)と茶屋四郎次郎(右/演・中村勘九郎)。(C)NHK

I:情勢が混沌とする中で、漂着したリーフデ号に乗っていたウィリアム・アダムス(演・村雨辰剛)が家康と面会しました。茶屋四郎次郎が代替わりしたということで先代と同じ中村勘九郎さんが登場しましたが、斬新でしたね。私はこういう登場の仕方が好きです。村雨辰剛さんはSNSでイケメン過ぎる外国人植木職人として話題になった方ですね。もともとドイツの方ですが、日本に帰化されていて、村雨辰剛というのが日本名。今では俳優として活躍されていますが、庭師としても仕事を継続しているそうです。

A:さて、リーフデ号は、1598年にオランダのロッテルダムから出航し、漂流しながら目的地の日本にたどり着いたんですね。家康はウィリアム・アダムスには領地を与え、さらに同じ船に乗っていたヤン・ヨーステンともども厚遇します。家康が好奇心旺盛だったことがわかりますね。ウィリアム・アダムスは外交顧問として三浦按針の名を賜ります。按針の江戸の屋敷があった現在の日本橋の室町一丁目周辺は昭和初期まで按針町という町名が残され、現在も「按針通り」が存在します。ヤン・ヨーステンの名は「八重洲」として残されています。

I:ふたりとも日本人を妻としたようですが、その後どうなったのでしょう。

A:彼らを厚遇したのは家康だけで、秀忠の代からは徐々に冷遇されたようです。ヤン・ヨーステンは乗船していた貿易船が座礁して亡くなったようです。三浦按針は子をなしたようですが、子孫がどうなったかは伝わっていません。

I:余談になりますが、彼らが乗船していたリーフデ号を復元したものが長崎県佐世保市のハウステンボスに係留されています。

A:ハウステンボスの周辺には戦国時代に南蛮船が寄港した横瀬浦があり、南蛮船がランドマークとしていた八ノ子島もあります。少し距離がありますが、南島原市には原城跡があり、同市にある有馬キリシタン遺産記念館は戦国時代の日本が直面していた事態を知るのには格好の博物館です。出島を含めて長崎の戦国→島原の乱を振り返る旅は、けっこう楽しいですよ。

I:最低2泊3日くらいは必要ですね。

鳥居彦右衛門との別れ。次ページに続きます

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