はじめに-阿部正弘とはどんな人物だったのか?

阿部正弘は、江戸時代末期の老中で、福山藩主です。「天保の改革」を推進した老中・水野忠邦の失脚を受け、若くして老中に就任した正弘。嘉永6年(1853)の「黒船来航」という未曽有の危機に直面し、日本中が震撼する中、外国の脅威から日本を守ることを期待されていました。

幕府は一貫して、オランダを除く西欧諸国との通商を拒み続けてきました。しかし、日本を守るためにも、正弘は開国への道を進むこととなったのです。外国の脅威に屈したという批判的な見方をされることも多いですが、実際の阿部正弘はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。

2023年NHKドラマ10『大奥 Season2』では、徳川への忠義を果たすことを胸に、将軍・家定を献身的にサポートする幕府老中(演:瀧内公美)として描かれます。

目次
はじめに―阿部正弘とはどんな人物だったのか?
阿部正弘が生きた時代
阿部正弘の足跡と主な出来事
まとめ

阿部正弘が生きた時代

阿部正弘は、文政2年(1819)に生まれます。正弘が生まれた時代は、11代将軍・家斉(いえなり)の治世にあたります。質素倹約を重んじた老中・松平定信(さだのぶ)が引退したこともあり、家斉は一転して、贅沢三昧に暮らすようになったのです。

家斉の治世は、非常に華やかな時代であった半面、幕府の財政はいよいよ破産寸前になっていました。さらに、この頃から外国船が度々出没するようになり、海防を強化する必要性が生じます。日本の危機を救ってほしいという人々の期待を一身に背負い、正弘は老中を務めることとなったのです。

阿部正弘公肖像画(福山誠之館蔵)

阿部正弘の足跡と主な出来事

阿部正弘は、文政2年(1819)に生まれ、安政4年(1857)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

25歳で老中に抜擢される

阿部正弘は、文政2年(1819)、福山藩主・阿部正精(まさきよ)の子として生まれます。天保7年(1836)、病弱だった兄に代わり、家督を相続して藩主の座についた正弘。天保11年(1840)には、寺社奉行(全国の寺社や領民を統轄した、幕府の役職)に任命され、功績をあげました。

若くして、幕府の中でも重要な職に就くことができた正弘は、天保14年(1843)、老中に抜擢されることに。この時、正弘はまだ25歳で、異例の大出世だったと言えるでしょう。2年後の弘化2年(1845)には、老中首座になっており、その能力を買われていたことが分かります。

正弘は、生まれつき病弱な13代将軍・家定(いえさだ)に代わって、幕政を担当するようになりました。

黒船来航、日米和親条約を締結。次ページに続きます

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