はじめに-徳川家定とはどんな人物だったのか?

徳川家定は、江戸幕府の13代将軍です。嘉永6年(1853)の「ペリー来航」や、安政4年(1857)の「ハリス来航」など、幕府の鎖国体制が終わりを迎えようとする、激動の時代を生きました。

列強の脅威が近づき、さらに、家定に跡継ぎがいなかったこともあり、幕府内外で不安の声が続出。やがて、一橋慶喜(よしのぶ、後の徳川慶喜)を支持する一橋派と、徳川慶福(よしとみ、後の家茂)を支持する南紀派が、次期将軍の座を巡って対立してしまいます。

家定自身は病弱で、老中などに政務を一任していました。そのため、歴史の中では影が薄いとも言えるかもしれませんが、実際の徳川家定はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。

2023年NHKドラマ10『大奥 Season2』では、時代の移り変わりの中で、己の人生を追求する13代将軍(演:愛希れいか)として描かれます。

目次
はじめに―徳川家定とはどんな人物だったのか?
徳川家定が生きた時代
徳川家定の足跡と主な出来事
まとめ

徳川家定が生きた時代

徳川家定は、文政7年(1824)に生まれました。家定が生まれる前から、外国船が日本列島周辺に度々出没するようになっていました。外国の勢力が日本を脅かす中で、文政8年(1825)、外国船を無差別に追い払おうとする「異国船打払令」が出されることに。

しかし、これは幕府内外からの批判が集中し、かえって幕府の国防政策の軟弱さが露呈することとなりました。幕府の雲行きがいよいよ怪しくなった不安定な時代に、家定は将軍職に就いたのです。

徳川家定像(徳川記念財団蔵)

徳川家定の足跡と主な出来事

徳川家定は、文政7年(1824)に生まれ、安政5年(1858)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

徳川宗家を相続、13代将軍になる

徳川家定は、文政7年(1824)、12代将軍・家慶(いえよし)の子として、江戸城内で生まれます。家定には多くの兄弟がいましたが、成人することができたのは彼だけでした。しかし、家定自身も生まれつき病弱で、人前に出ることを極端に嫌ったそうです。

そのため、父・家慶は、家定を次期将軍にすることに不安を感じていました。家慶は代わりに、頭脳明晰だと評判だった一橋家の慶喜を跡継ぎにしようと考えますが、老中・阿部正弘(あべ・まさひろ)らに反対されます。彼らは、将軍に実子がいる場合は、その子に将軍職を継がせるべきだと主張したそうです。

天保8年(1837)、家定は世子に定められることに。その後の嘉永6年(1853)、家慶が没したことで、家定は13代将軍となり、幕政を担うこととなったのです。

黒船来航、将軍継嗣問題が勃発。次ページに続きます

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