文/池上信次

前回(https://serai.jp/hobby/1158637)までライヴとレコーディングの「遅刻」「早退」と紹介してきましたが、今回は「飛び入り」レコーディングを紹介します。アクシデントではありませんが、同様に予定外ということで。

ライヴでの飛び入りはモダン・ジャズの時代では日常的なことですが、レコーディングとなると話は別。「作品」となって残るものですし、そもそもスタジオには無関係の人の出入りはありませんので、「飛び入り」録音は珍しいケースといえるでしょう。1956年5月24日、ソニー・ロリンズ(テナー・サックス)は、ニュージャージーのルディ・ヴァン・ゲルダー・スタジオでアルバムのレコーディングを行ないました。バックのメンバーは、レッド・ガーランド、ポール・チェンバース、フィリー・ジョー・ジョーンズ。当時のマイルス・デイヴィス・クインテットのリズム・セクションです。ロリンズは55年にマイルスのクインテットに短期間参加していたので、再会セッションでもありますが、録音は初めて。サックスとマイルスのリズム・セクションの共演といえば、アート・ペッパー(アルト・サックス)の『ミーツ・ザ・リズム・セクション』(57年1月録音/コンテンポラリー)がよく知られますが、そのタイトルが示すとおり、この3人は当時最高の実力者であり人気者でした。つまりこのセッションは、「ソニー・ロリンズ・ミーツ・ザ・リズム・セクション」という特別企画といえるものですが、このアルバムはその点から紹介されることはほとんどなかったような気がします。なぜなら、もっと大きな「ネタ」が投入されてしまったから。それはジョン・コルトレーンの「飛び入り」です。


ソニー・ロリンズ『テナー・マッドネス』(プレスティッジ)
演奏:ソニー・ロリンズ(テナー・サックス)、ジョン・コルトレーン(テナー・サックス)、レッド・ガーランド(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラムス)
録音:1956年5月24日
モダン・ジャズ史に名を残すテナー・サックスの巨人ふたりの、唯一の共演作品。その「歴史的価値」でよく知られるアルバム。ちなみに1966年にリリースされた日本盤は、ジャケットにはロリンズとコルトレーンの写真が並び、『ロリンズ対コルトレーン/テナー・マッドネス』というタイトルが付けられています。

このアルバムのタイトル『テナー・マッドネス』が示しているのは、ロリンズとコルトレーンの共演のこと。しかし、共演はいかにもジャム・セッションというブルース・ナンバー「テナー・マッドネス」が1曲だけ。結果的にこれがふたりの唯一の共演盤となったので、その価値からすればこのタイトルもありでしょうが、録音当時の状況を見てみると、ふたりは対等の立ち位置ではありませんでした。

ロリンズは1952年にファースト・アルバム『ソニー・ロリンズ・カルテット』(10インチLP)を発表。54年『ムーヴィン・アウト』、55年『ワークアウト』、56年3月22日には、クリフォード・ブラウン(トランペット)が参加した『ソニー・ロリンズ・プラス4』を録音しています(いずれもプレスティッジ)。サイドマンとしては、マイルス・デイヴィス、クリフォード・ブラウン、セロニアス・モンクらのアルバムに参加しており、『テナー・マッドネス』録音時はすでに名を成した存在でした。しかも絶好調の時期であることは、翌月6月22日に、あの名盤『サキソフォン・コロッサス』(プレスティッジ)を録音していることからもわかります。

一方のコルトレーンは、1955年秋にマイルス・クインテットに参加。直後に『ザ・ニュー・マイルス・デイヴィス・クインテット』を録音し、それは56年4月に発表されますが、評論家のビル・コスによる『メトロノーム』誌の同作の評文は、「(前略)とりわけロリンズ〜スティットの流れを汲むテナー奏者はひどい調子外れの音を出している」(※)というさんざんなもの。『テナー・マッドネス』の13日前の5月11日には、マイルス・クインテットで『リラクシン』などのレコーディングをしていますが、まだ発売されておらず、初リーダー・アルバムの録音も翌57年なので、この時点では新人の域を出ていない存在です(ちなみにコルトレーンはロリンズの4歳年上)。

評論家のアイラ・ギトラーが書いた『テナー・マッドネス』のオリジナル・ライナーノーツでは、「テナーふたりが共演したのでこのタイトルになった」とあるだけで、コルトレーンや共演内容については評価せず、「フィリー・ジョー・ジョーンズは、曲が終わるたびに『何も起こらない』と首を振ったが、それがロリンズの平常運転なのだ」(大意)とライナーにしては微妙な書き方。しかし、コルトレーンはその後急速に力をつけて人気アーティストとなり、67年に亡くなっていることもあって、『テナー・マッドネス』の価値は録音時から大きく変わりました。69年の再発盤(アメリカ盤)のライナーノーツでは一転して、「ロリンズとコルトレーンは、まるでエヴェレストとK2のようだ」(マーク・ガードナー)と、同じアルバムとは思えない内容になっています。

そもそもなぜコルトレーンは楽器を持ってスタジオにいたのでしょうか。当時のライヴ記録をみると、1956年はコルトレーンを含むマイルス・クインテットは活発にライヴ活動を行なっており、3月には1週間、『テナー・マッドネス』セッションの翌日からは2週間「カフェ・ボヘミア」に出演しています。「そのころポール・チェンバースやフィリー・ジョー・ジョーンズと連れ立ってよく出歩いていたコルトレーンは、この日もニュージャージー州ハッケンサックのルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオに彼らと一緒に来ていた。」(※)ということなのですが、同じバンドのメンバーで仲がよいからといっても、空いている日に楽器持ってニュージャージーのスタジオまで行くのか? と思ってしまいます。本当はコルトレーンは、あわよくば飛び入りする気まんまんでチャンスをうかがっていたのではないかと想像していますが、どうかな。そして飛び入りが実現しますが、ちょっと遊びでやってみるかという程度のノリでしょう。だから1曲だけ。そりゃそうでしょう、このセッションはロリンズとこのトリオの最初(で結果的に最後)の共演で、(ふたりは友達とはいえ)「格上」のロリンズのリーダー・アルバムなのですから。

しかし、プロデューサー、ボブ・ワインストックは『テナー・マッドネス』という大仰なタイトルを付けて、たった1曲の共演にもかかわらず、それを「売り」にしました。本気で「マッドネス」にしたいなら、がっちり共演のアルバムを作ることもできたはず。コルトレーンの成長を確信していたとしても、これは大きな謎だと思うのですが、今のところそれについての資料は見つけられませんでした。本来は「ソニー・ロリンズ・ミーツ・ザ・リズム・セクション」の線で売ろうとしていたけれど、「何も起こらない」セッションだった(とワインストックも判断した)から、あるいは直後に録音された同じ編成の『サキソフォン・コロッサス』と差別化するため、というのは考えすぎにしても、このたった1曲の「飛び入り」は、アルバムをまったくの別物にしてしまったのでした。

※評伝『ジョン・コルトレーン 私は聖者になりたい』(ベン・ラトリフ著、川島文丸訳、P-Vine Books刊)より引用。

* * *

「遅刻」のアクシデントは名演を生む?【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道227】:https://serai.jp/hobby/1157357

「早退」のアクシデントは名演を生む?【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道228】:https://serai.jp/hobby/1158637

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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