文/池上信次
ジャズはとても柔軟な音楽。予期せぬ出来事があっても、それがきっかけで名演が生まれることもあります。今回はそんな「結果オーライ」の名盤を紹介します。
マイルス・デイヴィスやウェス・モンゴメリーとの共演で知られるピアニスト、ウィントン・ケリーのアルバム『ウィスパー・ノット』。LPのA面はクァルテット、B面はトリオというふたつの編成が収録されています。B面のトリオは、ピアノ、ギター、ベースというドラムスなしの楽器編成。これは、ナット・キング・コール・トリオに始まりオスカー・ピーターソンが受け継いだ、ピアノ・トリオの元祖の編成といえるものですが、録音当時はピアノ、ベース、ドラムスの編成が一般的なので、やや珍しいものといえます。2種類の編成のセッションを入れたのは、これはケリーの実質ソロ・デビュー・アルバムなので、その魅力を広く伝えようということなのでしょう。さすがは名プロデューサー、オリン・キュープニューズ……と思いきや、じつはこれは予定したものではありませんでした。
このセッションは、フィリー・ジョー・ジョーンズが遅刻したため、仕方なくトリオで録音を始めたというのが真相なのでした。他の音楽ではこんなことは成り立ちませんが、ジャズはどんな編成でも、ぜんぜん大丈夫というわけです。おそらくもともと事前のリハーサルはなく、現場でアレンジ、即録音というものでしょうが、ケリーたちは腕利きだけあって、予定していなかったトリオ編成でも素晴らしい演奏になりました。ケリーもバレルもトリオ編成のアルバムはありますが、このナット・キング・コール型トリオでの録音は、このほかにはありません。結果的に、フィリー・ジョーの遅刻が、ふたりともに「唯一の録音」を実現させたのでした。
この「遅刻」は「伝説」としては、今ではわりと知られているものと思われますが、この話のネタもとは? と調べてみましたが、オリジナルのライナーノーツ(無署名。おそらくキープニューズ)には書かれていませんでした。また、タイトルを変えての新装再発盤『Whisper Not』(1972年/ジャズランド)のライナーノーツ(ピーター・ドリュー)でも触れられていませんが、1974年リリースの日本盤LPのライナーノーツにありました。「この企画は、プロデューサー、オーリン・キープニュースの口から聴いた話では、最初全部をピアノを中心としたクワルテット形式で録音するはずであったのが、フィリーが時間に来ないので、しかたがなくドラムスが抜けたトリオで演奏、(中略)と云う」(佐藤秀樹)。ことの顛末をプロデューサー本人が、(おそらくここ以外でも)正直に公開していたのでした。遅刻の話をしなければ、もっと名プロデュース作品として認識されていたかもしれませんが、録音から65年が過ぎた今も、それをネタにこうして紹介されているということを考えると、キープニューズの「話題作り」は成功だったといえるでしょう。
「遅刻」にまつわるエピソードをもうひとつ。1969年7月5日、マイルス・デイヴィスがニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに出演した時のこと。マイルスはレギュラーのクインテット編成で出演する予定でしたが、なんとサックスのウェイン・ショーターが遅刻して出演できず、ステージはマイルスのワン・ホーンで演奏されました。マイルスのグループにはずっと必ずサックス奏者がいましたので、これは極めて珍しいケースです。この日のマイルス・グループの出番は午後2時からの昼の部。5グループの出演があったので時間を動かすことは不可能だったのでしょう。マイルスも思い切りがいいですね。
この日のステージは録音されていて、2011年リリースの『ビッチェズ・ブリュー・ライヴ』(コロンビア)で初めて発表されました。ただでさえ当時のマイルスのレギュラー・クインテットは録音がほとんどなく「ロスト・クインテット」と呼ばれているのですが、ショーターの遅刻によって、「ロスト・クァルテット」というさらにレアな音源となりました。オリジナル・ライナーノーツには、ショーターの遅刻の理由は「渋滞に巻き込まれたため」というそっけない記載しかありませんが、これはグループにとっては大事件だったはず。実際はどんな状況だったのでしょうか。
ウェイン・ショーターの評伝(実質自伝)『フットプリンツ』(ミシェル・マーサー著、新井崇嗣訳、潮出版社、2006年刊)には、この「遅刻」についてのショーターの回想が紹介されています。引用します。
ステージに穴を開けたことは一度もない。仕事をすっぽかしたことは一回もないよ
ただ、マイルスと一緒に演っている頃に一度だけ、天候のせいでノルウェイからの飛行機が飛ばなくて、ニューポートでのギグに遅れたことがあるんだ。タキシードに着替えてステージへの階段を上っている時にはもう、僕らの出番は終わるところだった
原著は2004年刊行ですから、この音源発表のずっと前の回想です。タキシードは記憶違いとしても(当時のステージでは「ロック」な服装)、この一件はショーターにとって大ごとだったことが伝わってきます。そして、こう続きます。
舞台から降りてきたマイルスは、僕を見ても何も言わなかった。黙って手を握り、ギャラを払ってくれた。僕が仕事をサボるような人間じゃないということが分かっていたんだ。あいつが遅れるなんて、きっとそれなりの理由があるに違いない。そう思ってくれたんだよ
いやー、マイルスはカッコよすぎ。なにをやっても「伝説」になってしまいますよね。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。