文/池上信次

前回(https://serai.jp/hobby/1157357)は「遅刻」セッションを紹介しましたが、今回はその逆の「早退」セッションについて。早退といっても、たいていは「怒って帰る」というものでしょう(そうでなければ最初から参加しませんよね)。よく知られているエピソードとしては、マイルス・デイヴィスのレコーディング・セッションがあります(またしてもマイルスですが、なんといっても「伝説王」ですから)。

1958年4月、マイルスはアルバム『マイルストーンズ』(コロンビア)を録音します。これは、いわゆる「モード・ジャズ」の先駆けとなったアルバムです。メンバーは、マイルス・デイヴィス(トランペット)、キャノンボール・アダレイ(アルト・サックス)、ジョン・コルトレーン(テナー・サックス)、レッド・ガーランド(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラムス)の6人なのですが、マイルスはこのセッションの1曲「シッズ・アヘッド」で、異例のピアノ演奏をしています。じつはこれはメンバーの「早退」によるものでした。レッド・ガーランドがセッション中に怒って帰ってしまったのです。

マイルスの自伝(※)によれば、「何かをレッドに説明しようとしているうちに、奴が怒って帰ってしまったから、〈シッズ・アヘッド〉ではオレがピアノを弾いた。」とあります(以下発言部分の引用はすべて自伝より)。アルバムのための曲数が足りなかったのか、ガーランドが帰ったあともセッションは続けられ、ガーランドの代わりにマイルスがピアノを弾いたのでした(ソロはありません)。そして、「レッドに腹を立てていたわけじゃないが、バンドのサウンドとしてオレが求めていたことは、すでにレッドができる範囲を超えていた。モードができるピアニストが必要で、それがビル・エヴァンスだった」ということで、結果的にガーランドはここでグループを離れ、代わりにビル・エヴァンスが起用され、それによって「モード・ジャズ」が完成することになったという、マイルスとしては「結果オーライ」のオチがつきました。

ちなみに、マイルスがピアノを弾いた録音はほかにもあります。それは、1951年1月のマイルスのリーダー・セッション(プレスティッジ)時に、ソニー・ロリンズがリーダーとなって同じメンバーで録音された「アイ・ノウ」という1曲(マイルス作曲)。じつはこれもピアニスト、ジョン・ルイスの「早退」による代役でした。ただ、こちらの理由は「用事のため」(同自伝)。こんなこともあるんですね。演奏はソニー・ロリンズの『ウィズ・モダン・ジャズ・カルテット』(プレスティッジ)に収録されています。


『マイルス・デイヴィス・アンド・ミルト・ジャクソン』(プレスティッジ)
演奏:マイルス・デイヴィス(トランペット)、ジャッキー・マクリーン(アルト・サックス)、ミルト・ジャクソン(ヴァイブラフォン)、レイ・ブライアント(ピアノ)、パーシー・ヒース(ベース)、アート・テイラー(ドラムス)
録音:1955年8月5日
原題は『クインテット/セクステット』。そのタイトルどおり、クインテット(5人編成)とセクステット(6人編成)の演奏を収録したアルバム。レギュラー・グループではない、いわゆるオールスター・セッション。ジャッキー・マクリーンは全4曲中の2曲に参加。

ガーランドの件に遡ること3年。マイルスはサイドマンの「早退」をすでに経験していました。1955年8月5日のマイルスのリーダー・レコーディング・セッションの途中で、マイルスとともにフロントを務めるジャッキー・マクリーン(アルト・サックス)が怒って帰ってしまったのでした。このいきさつも自伝にあります。

(前略)やたらハイになっていたジャッキーが、突然オレに文句をつけはじめた」「ジャッキーは相変わらずどっぷりヤクに浸っていた。それでも仲間には変りがない奴を見つめて、『どうしたんだ、お前。小便でもしたいのか』と言うと、奴は怒り狂って、楽器をしまうとスタジオから出ていってしまった。

このときは、結局マクリーン抜きのクインテットで残りを録音。編成を変えざるを得なかったというわけですが、マクリーンが演奏したのは自作曲だけ、また『クインテット/セクステット』というタイトルから、あえて編成の異なるセッションを行なったように見えてしまうのがジャズの面白いところ。

イメージ的には、マイルス自身も「怒って帰る」ことがありそうな感じですが、どうだったのでしょうか。マイルスが怒ったセッションとしては、自分がリーダーとなり、師匠チャーリー・パーカーをサイドマンにした1953年1月のセッションのエピソードが自伝にあります。スタジオでパーカーは泥酔状態。マイルスは、「バード(パーカーのこと)はオレを、息子か、奴のバンドのメンバーのように扱った。だが、これはオレの録音だったから、なんとしても奴をちゃんとさせなきゃならない。(中略)で、オレもとうとう腹を立てて、言ってしまった。『やめろ。オレはお前のレコーディングで、そんなことはしなかっただろ。いつだってプロとして、ちゃんとやったじゃないか』(中略)オレはいい加減嫌になって、楽器を片づけて帰ろうとした。」とあります。師匠を相手にこれですから、よほど怒っていたのでしょう。するとパーカーはその様子を見て態度が一転、「おい、何言ってるんだ、マイルス。さあ一緒にやろう」と言ったのでした。そしてその結果はというと、なんとマイルスは帰ることなく、「それからオレたちは、本当にすばらしい演奏をした」というのでした。この演奏は『コレクターズ・アイテムズ』(プレスティッジ)に収録されています。

ピアニストが帰れば代わりにピアノを弾き、怒っても師匠には逆らわず、しかも名演を残したマイルスは、じつはとてもマジメなミュージシャンだったようです。

※引用はすべて『マイルス・デイヴィス自伝』(マイルス・デイヴィス、クインシー・トゥループ著、中山康樹訳、シンコーミュージック・エンタテイメント刊)より。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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