文/池上信次

前回(https://serai.jp/hobby/1159593)に続いて、「飛び入り」レコーディングのエピソードを紹介します。飛び入りは「する」だけでなく「させられる」こともあります。

マイルス・デイヴィスの『ジャック・ジョンソン』は、マイルスがもっとも「ロック」しているアルバムとして知られます。このアルバムのレコーディングは、ベースのマイケル・ヘンダーソンが初参加した、グループの新出発のセッションでもあったのですが、すでにグループを抜けて数年経っていたハービー・ハンコックも参加しています。マイルスは新たな音楽のために、ハンコックを呼び戻したのかというと、さにあらず。


マイルス・デイヴィス『ジャック・ジョンソン』(コロンビア)
演奏:マイルス・デイヴィス(トランペット)、ジョン・マクラフリン(ギター)、マイケル・ヘンダーソン(ベース)、ビリー・コブハム(ドラムス)、ハービー・ハンコック(キーボード)、ほか
録音:1970年4月7日ほか
映画『ジャック・ジョンソン』のサウンドトラックに使われた音源を編集したアルバム。


ハンコックが参加したのは、ジョン・マクラフリンたちがウォーミング・アップとして始めたジャム・セッションの1曲で、この演奏はアルバムでは編集されて(LP)A面全部を占める「ライト・オフ」というトラックになっています。メンバーは事前にこのアルバムのためのリハーサルをしていましたが、ハンコックはすでにバンドとは無関係。なんとレコーディング真っ最中の「現場」でマイルスの指示、いや「命令」によって、飛び入り「させられた」のでした。

マイルス・デイヴィスの研究書『エレクトリック・マイルス』(※1)には、このときの様子がビリー・コブハムの回想として記されています。

彼は偶然通りかかっただけなんだ!(中略)窓から覗いていたところをマイルスに『入って来い!』と言われたのさ。想像できるかい。レコーディングのランプが点灯していて、僕らが演奏しているところに、レジ袋を抱えたハービーが入ってきたんだ。マイルスは、そのとき空いていたファルフィッサ・オルガンを指差した。ハービーはそれを見て『これは無理だよ』と言った。でも、マイルスはもう一度言った。『いいから弾け』ってね。(中略)ハービーはしかたなく、レジ袋を置いて、オルガンでソロを弾こうとした。けれども、うまく音が出せない。

という具合です(注:ファルフィッサは電子オルガンのメーカー名)。

このエピソードは、このセッションの未編集音源を集めたCDボックス・セット『ザ・コンプリート・ジャック・ジョンソン・セッションズ』(コロンビア)のライナーノーツ(ビル・ミルコウスキー/2003年)でも紹介されています。ここでもコブハムの回想となっていますが、ハンコックがスタジオに立ち寄った理由は、自分の新譜『ファット・アルバート・ロトゥンダ』をマイルスに手渡すためとなっています。また、マイルスの評伝『マイルス・デイヴィスの生涯』(※2)でも紹介されているのですが、そこでは「スタジオの様子をうかがいに立ち寄った」とあります。また「買い物を頼まれている」という理由で最初は演奏を断ったとあります。おそらく同じソースなのに細部が違っているのが面白いところですが、いずれにしてもハンコックは、かつての親分に逆らうことができずに、音の出し方も知らない初めて触る楽器でいきなりセッションに飛び入りさせられたというわけです。

その未編集の演奏を聴くと、ハンコックがかなり困惑している様子が伝わってきます。バックはノリノリですが、音色を調整しながらのオルガンのフレーズは断片的でぎこちなく、音量も不安定で、「ちゃんと音は出てるのか?」という感じの演奏がけっこう長く続きます。また、曲は何度か止まってやり直していますので、ハンコックが入る頃には、ジャム・セッションは「新曲」レコーディングになっていたようです。しかし、これをプロデューサーのテオ・マセロが、ハンコックのフレーズまで切り貼り編集して出来上がった「ライト・オフ」を聴くと、(途中にインタールードが挿入されますが)シャッフル・ビートのセクションは「連続する一発ジャム・セッション」で、そこに「尖った大胆な音色で切り込むハンコック」というトラックになっているのにはほんとうに驚いてしまいます。もちろんマイルスは、それを見越しての飛び入り起用なのでしょう(まあ、最悪の場合、編集でカットしてしまうという選択肢もあるわけですが)。


マイルス・デイヴィス『ライヴ・イヴル』(コロンビア)
演奏:マイルス・デイヴィス(トランペット)、ゲイリー・バーツ(サックス)、キース・ジャレット(キーボード)、マイケル・ヘンダーソン(ベース)、ジャック・ディジョネット(ドラムス)、アイアート・モレイラ(パーカッション)、ジョン・マクラフリン(ギター)[ライヴ]
録音:1970年12月19日[ライヴ]
当時のレギュラー・グループによるライヴ演奏と、スタジオ・セッションの両方を収録したアルバム。


そして、この後マクラフリンもマイルスに飛び入りレコーディングを「させられ」ています。『ジャック・ジョンソン』録音の同年12月に、ワシントンDCのクラブ「セラー・ドア」で録音されたライヴ・アルバム『ライヴ・イヴル』ではマクラフリンが大活躍していますが、これは飛び入りレコーディングなのです。マイルスのグループは「セラー・ドア」に4日間出演し、アルバムのために全ステージが録音されましたが(後に『ザ・セラー・ドア・セッションズ1970』として発表)、アルバムに収録されたのは最終日(12月19日)の第2セットと第3セットの音源だけでした。その全曲でマクラフリンの演奏が聴けますが、なんと彼が参加したのは、その2セットだけだったのです。『エレクトリック・マイルス』によれば、ニューヨークにいたマクラフリンは、「その日の朝にマイルスから電話で呼び出され、コンサートが始まってから到着した」というのです。マイルスは、レコーディングなのにバンドの最高潮時にあえて展開予測不可能な刺激物を投入したのです。

マイルスがらみでは、まだあります。マイルスは1974年3月30日にニューヨークでライヴ・レコーディングを行ないました。会場はなんとクラシックの殿堂カーネギーホール。ここで爆音ファンクの演奏を行なうのですから、かなり特別なことだったはず。しかしマイルスはなんと、そのステージで新メンバーのオーディションをしているのです(『エレクトリック・マイルス』による)。レギュラー・メンバーの演奏にいきなりエイゾー・ローレンス(サックス)とドミニク・ゴーモン(ギター)を加えるという、常人には思いつけないリスキーな試みをやっているのです。この演奏はちゃんと『ダーク・メイガス』(コロンビア)に収録されています。なお、ローレンスはバンドに残れませんでしたが、ゴーモンはその後バンドに在籍しました。

偶然もアクシデントも、予測不能なハプニングもマイルスは自分の音楽の一部にし、そしてその判断はいつも正しかったのです。と、こうしてマイルスの「伝説」はまた増えていくのでした。

※1:『エレクトリック・マイルス(原題:Miles Beyond – The Electric Explorations of Miles Davis, 1967-1991/2001年)』ポール・ティンゲン著、麦谷尊雄訳、水声社刊

※2:『マイルス・デイヴィスの生涯(原題:So What – The Life of Miles Davis/2002年)』ジョン・スウェッド著、丸山京子訳、シンコーミュージック・エンタテイメント刊

* * *

「遅刻」のアクシデントは名演を生む?【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道227】:https://serai.jp/hobby/1157357

「早退」のアクシデントは名演を生む?【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道228】:https://serai.jp/hobby/1158637

「飛び入り」のアクシデントは名演を生む?【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道229】:https://serai.jp/hobby/1159593

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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