はじめに-一橋治済とはどんな人物だったのか?

一橋治済(ひとつばし・はるさだ)は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した一橋家の2代目当主です。8代将軍徳川吉宗の孫であり、11代将軍徳川家斉の実父という家柄から、政治的・社会的に重要な役割を果たしました。

治済は権力を背景に贅沢な生活を送りながらも、幕府政治に深く関与し、田沼意次政権の崩壊や松平定信の登用に大きな影響を与えた人物でもあります。

そんな一橋治済ですが、実際にはどのような人物だったのでしょう。史実をベースに紐解きます。

2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、自身と長男・家斉の地位安泰のため、権謀術数をめぐらす人物(演:生田斗真)として描かれます。

一橋治済
一橋治済

目次
はじめに-一橋治済とはどんな人物だったのか?
一橋治済の生きた時代
一橋治済の足跡と主な出来事
2023年NHKドラマ10『大奥 Season2』で描かれた、一橋治済
2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で描かれる、一橋治済
まとめ

一橋治済の生きた時代

一橋治済が生きた宝暦元年(1751)から文政10年(1827)は、江戸幕府が18世紀の安定期から19世紀の改革期へと移り変わる時代でした。この時期、田沼意次(おきつぐ)による経済政策や天明の大飢饉など、幕府の経済と政治が大きく揺れ動きました。

また、光格天皇の時代には「尊号事件」と呼ばれる朝幕間の対立が表面化し、幕府と朝廷の関係に新たな緊張が生まれました。一橋治済は、このような激動の時代を背景に、自身の立場と影響力を行使したのです。

一橋治済の足跡と主な出来事

一橋治済の生年は宝暦元年(1751)、没年は文政10年(1827)です。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。

幼少期と家督相続

一橋治済は、初代一橋家当主・宗尹(むねただ)の四男として宝暦元年(1751)11月6日に生まれました。一橋家は親藩御三卿の一つで、治済は8代将軍・吉宗の孫でもあります。

幼名は松平豊之助と呼ばれ、14歳のときに父の死を受けて一橋家の家督を相続しました。「徳川民部卿治済」と名乗り、徐々に幕府政治への影響力を強めていきます。

長男・家斉が11代将軍に

天明元年(1781)、治済の長男である家斉(いえなり)が、10代将軍・徳川家治(いえはる)の養子となります。当初、家治は、俊才の誉れ高い田安家の定信(さだのぶ)を希望したそうです。しかし、田沼意次が定信を白河松平家へと養子に出し、家治の養子には家斉を選びました。この背景には、田沼意次が権勢を維持するための意図があったといわれています。

そののち、天明6年(1786)に、家治が死去。それに伴い、翌年には治済の長男である家斉が11代将軍となりました。このとき、家斉はわずか15歳でした。

田沼意次を排除、治済が松平定信を老中首座に推挙。次ページに続きます

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