はじめに-黒田長政とはどんな人物だったのか?

黒田長政は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した武将です。長政の父は、秀吉の参謀として手腕を発揮した黒田孝高(よしたか、通称・官兵衛)で、長政自身も父の影響を大いに受けていたと言えます。父と同じく、秀吉に仕えてからは、彼の主要な戦に従軍して戦いました。

秀吉の死後は、彼の重臣・石田三成と対立したため、家康に接近し、彼の養女を後妻として迎えています。慶長5年(1600)の「関ケ原の戦い」では、小早川秀秋(こばやかわ・ひであき)を東軍に寝返らせ、見事勝利に導いた長政。

父・官兵衛に勝るとも劣らない頭脳の持ち主というイメージがありますが、実際の黒田長政はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』では、三成ら五奉行たちとの対立を深め、徳川方に転じることとなる官兵衛の息子(演:阿部進之介)として描かれます。

目次
はじめに-黒田長政とはどんな人物だったのか?
黒田長政が生きた時代
黒田長政の足跡と主な出来事
まとめ

黒田長政が生きた時代

黒田長政は、永禄11年(1568)に生まれます。長政が生まれた頃は、尾張国(現在の愛知県)の信長が、有力武将として頭角を現していた時期にあたります。長政の父・官兵衛も、秀吉に仕える以前は信長の家臣でした。父が信長に属していたため、幼い長政は人質として信長のもとに送られることとなったのです。

黒田長政騎馬像(福岡市博物館蔵)

黒田長政の足跡と主な出来事

黒田長政は、永禄11年(1568)に生まれ、元和9年(1623)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

秀吉の家臣となる

黒田長政は、永禄11年(1568)、「官兵衛」という名で知られている、黒田孝高の子として生まれます。天正5年(1577)、父が信長に属したため、当時10歳だった長政は、人質として信長のもとへ送られることとなりました。その後、長浜城(現在の滋賀県長浜市にある城)にいた秀吉のもとに送られています。

官兵衛が秀吉から重用されたことで、彼に仕えるようになった長政。天正10年(1582)には、「中国攻め」に従軍し、初陣を飾りました。翌年の「賤ケ岳の戦い」では、秀吉から功績を称えられ、河内国丹北郡(現在の大阪府南東部)で450石を与えられています。

さらに、天正12年(1584)の「小牧・長久手の戦い」の際には、秀吉の「紀州攻め」を成功させた功により、2000石の加増を受けました。その5年後の天正17年(1589)、家督を継いで、豊前国(現在の大分県)中津に12万石の所領を得た長政。文禄元年(1592)から始まった「朝鮮出兵」にも従軍し、戦功を立てるなど、秀吉を支えました。

『朝鮮征伐大評定ノ図』(月岡芳年画) 
朝鮮出兵の際、長政は実際に渡海して戦っている。

三成と対立、家康に接近する。次ページに続きます

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