紀尾井町にひこにゃんがやってくる!
(写真/滋賀県提供)

ライターI(以下I): 徳川家康を支えた家臣団には「徳川四天王」「徳川十六将」が存在しています。このうち「徳川四天王」は、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政の4名です。

編集者A(以下A):歴史作家・安部龍太郎さんの『日本はこうしてつくられた3 徳川家康   戦国争乱と王道政治』には、四天王の概要が簡潔にまとめられています。以下、引用しますね。

今川義元や織田信長などに目をかけられた家康は、主君への忠誠心が厚く、家康のために尽くした家臣団にも恵まれた。ここでは、俗に「徳川四天王」と称される武士団に加えて「徳川十六将」についても触れたい。

【酒井忠次】 大永七年(一五二七)生まれ。松平家の譜代家臣としては最古参の安祥譜代で、徳川家臣団の筆頭格。家康より十五歳年長の「兄貴格」で、家康が駿府へ人質になった際には、同族の酒井正親とともに、駿府で家康の身辺に仕えた。多くの家康家臣が一揆側についた三河一向一揆でも家康の側を離れず、姉川の合戦など多くの合戦に従軍。子孫は、出羽庄内藩主家として続いた。幕末の庄内藩は、奥羽越列藩同盟の一員として会津藩とともに新政府軍に対抗し、最後の最後まで徳川家に忠義を尽くした。藤沢周平の小説作品に登場する「海坂藩」のモデルは庄内藩だ。

【榊原康政】 天文十七年(一五四七)生まれだから、家康とは六歳、酒井忠次とは二十歳近くも離れている。十三歳で家康に小姓として見出され、十六歳の時、三河一向一揆の際に家康軍として初陣を飾る。康政の「康」の字は、家康の偏諱である。三方ヶ原、姉川、長篠など家康が浜松城在城時代の主要合戦にはすべて参陣し、特に姉川合戦の際には大きな武功をあげたという。家康が秀吉と雌雄を決した小牧・長久手の戦いでは、秀吉に対して、〈夫れ羽柴秀吉は野人の子〉などと誹謗中傷する檄文を作ったことでも知られる。江戸時代の榊原家は館林、白河、姫路、村上など移封を繰り返して、越後高田で幕末を迎えた。この間、幾度か改易の危機があったものの藩祖康政の功を以て御取り潰しを免れたという。

【本多忠勝】 榊原康政と同じ天文十七年生まれ。通称「平八郎」。桶狭間合戦の前哨戦だった大高城への兵糧入れが初陣。生涯五十数回の合戦に出陣し、傷を負ったことがなかったという。手柄の数もけた違いということで、「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」などとうたわれた。さらには信長や秀吉もその存在を激賞、家康配下の武将の中でも抜群の軍功をあげた。本多忠勝といえば、大鹿角の脇立てが印象的な兜の肖像画(良玄寺蔵/千葉県立中央博物館大多喜城分館寄託)で知られる。肖像画が千葉県に蔵されているのは、忠勝が上総大多喜藩初代藩主だったため。忠勝以降の「本多平八郎家」は、十回もの転封を経て、幕末を徳川家の故地岡崎藩主として迎えた。

【井伊直政】 永禄四年(一五六一)生まれ。幕末に大老井伊直弼を輩出する井伊家から徳川四天王に名を連ねた井伊直政は、家康よりも二十歳も年少だったから同じ四天王でも酒井忠次とは三十歳以上離れていた。さらに四天王のほかの三名は譜代古参の家臣だったが、唯一の新参格だった。元服も二十歳を過ぎてからで、本能寺の変後の「伊賀越え」には、忠次、康政、忠勝の四天王を含む三十四名で家康を護衛した。家康が江戸移封となった後は、上野箕輪領を経て、石田三成の居城だった佐和山を与えられた。直政は、関ケ原合戦の二年後に戦傷の悪化で四十二歳で亡くなった。領内の彦根に城を築いたのは、直政の跡を継いだ直勝だ。

I:今回はこのうち井伊家について触れたいと思います。井伊家が藩主を務めた彦根藩は、現在の永田町の憲政記念館の立つ地に上屋敷がありました。幕末の当主で幕府の大老だった井伊直弼は、この上屋敷から江戸城に登城する際に現在の警視庁付近、桜田門で水戸藩出身の浪士らによって殺害されます。俗にいう桜田門外の変ですね。

A:井伊家の上屋敷はもともと加藤清正の屋敷があった場所です。秀吉恩顧の大名の多くは改易されてしまう運命になるわけですが、感慨深いですね。

I:今、憲政記念館の建つ場所に井伊家の屋敷があり、そこはもともと加藤清正の屋敷があったというのはなんだか因縁ですね。ちなみに現在の明治神宮境内にあってパワースポット視されている「清正井(きよまさのいど)」も加藤家の屋敷があって、後に井伊家の下屋敷庭園になった場所にあるそうです。

A:そして、井伊家の中屋敷が紀尾井町、現在のホテルニューオータニ周辺にありました。江戸時代に清水坂と呼ばれた坂の周辺には御三家筆頭尾張藩の中屋敷があり、さらに紀州藩の上屋敷があったということで、紀州の「紀」、尾張の「尾」、井伊の「井」をとって紀尾井坂と呼ばれるようになったという逸話があります。

I:御三家の尾張と紀州、水戸がなくって井伊家の屋敷なんですね。

A:水戸藩の上屋敷は現在の東京ドーム周辺ですね。小石川後楽園は水戸屋敷上屋敷内の庭園だったわけです。さて、その紀尾井町に10月27日(金)、28日(土)にご当地キャラ「ひこにゃん」がやってくるそうです。

I:紀尾井町にひこにゃん! それはレアですね。

A:はい。紀州藩上屋敷跡にある紀尾井町ガーデンテラスで開催される「しが発見フェスタin紀尾井町」で、滋賀産の野菜や農産物が販売されるそうです。そこにひこにゃんがやってくるそうです。そして、そのイベントの中で、「桶狭間合戦は知多半島争奪戦だった」「家康の伊賀越え、実は甲賀越えだった」「本能寺の変の動機と密書」などが描かれた『戦国秘史秘伝 天下人、海賊、忍者と一揆の時代』の著者、三重大学の藤田達生教授の歴史セミナーが開催されるそうです。テーマが「藩の誕生  彦根藩の歴史的意義」です。

I:それは楽しみですね。いずれにしても、紀尾井町にひこにゃんだけでも見にいきたいですね。

●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。歴史作家・安部龍太郎氏の『日本はこうしてつくられた3 徳川家康 戦国争乱と王道政治』などを担当。『信長全史』を編集した際に、採算を無視して信長、秀吉、家康を中心に戦国関連の史跡をまとめて取材した。

●ライターI:三河生まれの文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2023年2月号 徳川家康特集の取材・執筆も担当。好きな戦国史跡は「一乗谷朝倉氏遺跡」。猫が好き。

構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり

 

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