はじめに-於大の方とはどんな人物だったのか

於大の方(おだいのかた)は、徳川家康の生母です。しかしながら、家康が3歳の時に夫・松平広忠と離縁することになり、家康とは離別することになります。それでも、於大の方と家康は連絡を絶やすことなく、強い母子愛で結ばれていたとか……。

実際の於大の方はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。

NHK大河ドラマ『どうする家康』では、家康の生母(演:松嶋菜々子)として、凛とした強さを持った女性として描かれます。

目次
はじめに-於大の方とはどんな人物だったのか
於大の方が生きた時代
於大の方の足跡と主な出来事
まとめ

於大の方が生きた時代

於大の方が生まれた時代は、室町時代後期、男たちが覇権争いを繰り返す戦国の世。武家の女性たちは運命を受け入れながらも、力強く生きていました。そんな中、於大の方は、三河刈屋城(かりやじょう)主の水野忠政(みずの・ただまさ)の次女として生まれます。

やがて、於大の方は、徳川家康の母として大きく歴史に関わっていきます。

於大の方の足跡と主な出来事

於大の方は、享禄元年(1528)に生まれ、慶長7年(1602)、数え年75歳で没しています。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。

三河刈屋城主・水野忠政の次女として誕生

於大の方は、三河刈屋城(現在の愛知県刈谷市)の城主・水野忠政と於富(おとみ)の次女として生まれます。その後、天文10年(1541)に岡崎城(現在の愛知県岡崎市)城主・松平広忠と結婚します。

この背景には、駿河の今川と結んだ松平氏と尾張の織田と結んだ水野氏との一時的な和睦がありました。そのための政略結婚だったとも言えるでしょう。

岡崎城

嫡男・竹千代(のちの家康)が誕生

天文11年(1542)12月26日、岡崎城で嫡男・竹千代(以下、家康)が誕生します。産所の魔除けのための蟇目役(ひきめやく)は石川清兼(きよかね)、臍の緒を切るのに用いる胞衣刀(えながたな)の役は酒井正親(まさちか)が務めたといいます。

於大の方は、子授け祈願のために鳳来寺(ほうらいじ)に参拝し、薬師如来に祈りを捧げるなど熱心だったそうです。そうして生まれたのが家康でした。寅の年、寅の日、寅の刻(午前4時前後の2時間)に生まれた「寅の化身」として、両親や家臣から大きな期待を寄せられます(諸説あり)。

家康の胞衣(臍の緒・胎盤)を埋めたと伝えられる「えな塚」。

家康は、内藤勝重(かつしげ)の妻であり、乳母の“まつ”によって育てられました。人質として今川家に家康が送られた時も、そばには“まつ”がいたと言われています。

松平広忠と離縁。家康とは離れて暮らすことに…。次ページに続きます

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