はじめに-今川義元とはどんな人物だったのか
今川義元(いまがわ・よしもと、演:大鶴義丹)は、戦国時代の東海地方で大きな勢力を誇った戦国大名です。一般的には、織田信長(演:小栗旬)に討たれた「桶狭間の戦い」で有名ですが、それだけでは義元の実像を語りきれません。
宗教や文化にも精通し、検地や法令を通じて領国経営を確立した義元は、実は非常に優れた統治者でもありました。
本記事では、そんな義元の生涯を史実に基づいて丁寧にたどり、その人物像と功績を見直します。
2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、駿河・遠江の戦国大名として描かれます。

今川義元が生きた時代
義元が生きたのは、室町幕府の力が衰え、各地の戦国大名たちが自立して覇を競っていた戦国時代(16世紀中頃)。
中央では将軍の権威が形骸化し、地方では下剋上が相次ぐなか、今川家は早い段階で戦国大名としての体制を整え、東海地方で安定した支配を築きました。
義元はその体制をさらに整え、駿河・遠江・三河を領し、隣国の武田・北条氏との外交同盟も活用して、「海道一の弓取り」とも称されるほどの威勢を誇りました。
今川義元の足跡と主な出来事
今川義元は、永正16年(1519)に生まれ、永禄3年(1560)に没しています。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。
僧から戦国大名へ|花倉の乱を経て家督相続
今川義元は、駿河・遠江の領主・今川氏親(いまがわ・うじちか)の三男で、永正16年(1519)に生まれました。母親は中御門宣胤(なかみかどのぶたね)の娘である寿桂尼(じゅけいに)です。幼名は芳菊丸(ほうぎくまる)。
初め義元は、出家して、駿河国富士郡今泉(=現在の静岡県富士市)の善徳寺(ぜんとくじ)の僧として修業を重ねていました。「梅岳承芳」(ばいがくしょうほう)と名乗り、一時は京都の建仁寺、妙心寺でも研鑽を積んだとされます。
しかし、天文5年(1536)4月に兄・氏輝(うじてる)が早世すると、異母兄の玄広恵探(げんこうえたん)と家督を争います(花倉の乱)。そして、同年6月に彼を倒して今川家を継ぎ、還俗(げんぞく、出家者が再び俗家にかえること)をして「義元」と名乗ったのでした。
このとき、義元の側近として活躍したのが、臨済宗の僧であり政治顧問でもあった太原雪斎(たいげんせっさい)です。雪斎はその後も、外交・内政・軍事面で義元を支え続けました。
内政と外交の充実|領国経営の完成
義元は父・氏親の方針を引き継ぎつつ、さらに積極的な領国統治を行いました。頻繁に検地を実施し、徴税体制を整備。商工業の振興や流通統制、鉱山開発なども進め、領国の経済基盤を強化しました。
また、天文14年(1545)以降は武田晴信(信玄)、北条氏康と政略結婚を通じて三者同盟(甲相駿同盟)を締結。東方の安定化に成功し、西進政策を本格化させていきます。
義元が制定した「仮名目録追加21か条」は、戦国大名としての法治的支配の自信を表すものであり、「只今はをしなべて自分の力量を以て国の法度を申付」という文言には、自己の能力をもって国を治めるという強い意志がにじんでいます。
三河支配と家康の人質化
義元の領国拡大は、尾張(織田家)との緊張を高めていきます。尾張に隣接する三河では、松平氏が今川と織田のはざまで揺れていました。
天文18年(1549)、義元は松平氏の岡崎城を制圧し、織田の支城・安祥(あんじょう)城を奪還。このとき、織田方に人質としていた松平竹千代(のちの徳川家康)を織田信広と交換して駿府へ送ります。以後、家康は今川家の庇護のもとで育てられ、三河は実質的に今川の支配下に入ることとなりました。

凛々しい甲冑姿で、竹千代君像を見守るように設置されている。
桶狭間の戦いと義元の死
義元の最期は、あまりにも有名な「桶狭間の戦い」によって幕を閉じます。永禄3年(1560)、義元は駿河・遠江・三河の兵を動員し、西上(上洛)作戦を開始。尾張への進軍中、丸根・鷲津砦を落とし、本陣を桶狭間に移します。
しかしこのとき、義元の軍勢は雨天により油断していたとされ、織田信長が精鋭部隊で奇襲を仕掛けます。結果、義元は本陣で討たれ、42歳の生涯を閉じました。
この戦いは、織田信長の名を一躍天下に知らしめ、以後の戦国史の転換点となった出来事でもあります。

まとめ
今川義元は、単なる「桶狭間で討たれた過小評価の大名」ではありません。政治・経済・軍事・外交の各面で実績を残した、当時屈指の有能な戦国大名でした。検地や法整備、家臣団の編制など、今川家の戦国大名としての体制を築き上げ、その統治能力は父・氏親を超える部分さえありました。
義元の死によって今川家は衰退の道をたどることになりますが、その残した統治システムと影響力は、後の徳川家康にも少なからぬ影響を与えています。
義元の実像を知ることで、戦国時代の複雑な政治力学と、武力だけではない「統治の力」の重要性を改めて感じさせられます。
※表記の年代と出来事には、諸説あります
文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP:https://kyotomedialine.com FB
引用・参考図書/
『⽇本⼤百科全書』(⼩学館)
『世界⼤百科事典』(平凡社)
『国史⼤辞典』(吉川弘⽂館)











