文/池上信次

「スター・プレイヤーが薬物により転落」。この、かつてのジャズマンの伝説(実例も)は枚挙にいとまがありませんが、そのあとに「そしてクリーンになって復活」が続く例は多くはないようです。そのまま命を落としてしまった人もいますし、第116回(https://serai.jp/hobby/1034168)でドキュメンタリー映画を紹介したトランペッター、チェット・ベイカーは「復活」は遂げたものの、そこで告白しているようにクリーンにはなれませんでした。でも、見事に復活を果たしたジャズマンがいます。アルト・サックス奏者のアート・ペッパーです。ペッパーはそれを「生き残り」と言っています。これは比喩ではない「生きるか死ぬか」の問題だったのです。

アート・ペッパーは1925年生まれ。1940年代にスタン・ケントン・オーケストラに参加して名を挙げ、52年には『ダウンビート』誌の人気投票でチャーリー・パーカーに次ぐ2位になるほどの人気アーティストになりました。57年録音の『ミーツ・ザ・リズム・セクション』はアートの50年代を代表するアルバムですが、50年代半ばから薬物関連の懲役刑のため何度も活動が中断しています。そして60年代半ばにシーンから姿を消しました。多くはここでストーリーは終わりです。しかしアートは75年に奇跡の復活を遂げ、その後は精力的に活動を続けました。


アート・ペッパー『ミーツ・ザ・リズム・セクション』(コンテンポラリー)
演奏:アート・ペッパー(アルト・サックス)、レッド・ガーランド(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラムス)
録音:1957年1月19日
度重なる活動中断の最中にもかかわらず、一期一会のセッションで生まれた名演。当時のマイルス・デイヴィス・クインテットの「リズム・セクション」と共演しているということだけでも、人気と実力がうかがい知れるというもの。

アートは79年に、三人目の妻ローリーとの共著で自伝『Straight Life: The Story of Art Pepper』(Schirmer Books)を出版しました(94年に追補版出版)。日本語版『ストレート・ライフ―アート・ペッパー 衝撃の告白自伝』(スイングジャーナル社/絶版)も81年に出版されましたが、そのタイトルからうかがわれるように、そこには「成功→転落→復活」の壮絶なドラマが詳細に記されています。さらにその出版後、その映像版ともいえるドキュメンタリー映画が作られ、82年に公開されました。今回はその映画『Notes From a Jazz Survivor』(ドン・マクグリン監督)を紹介します(かつて『アート・ペッパーの光と影』[バップ]のタイトルで日本語版ソフト化もされました)。

映画はアートの独白、そしてローリーとの会話とライヴ映像で構成される48分。短い時間ですが「本人が語る」重さは、500ページを超える自伝(日本語版)を凝縮したような衝撃的なものです。なんといっても冒頭からヘロイン初体験談なのです。スタン・ケントンのバンドにいたころに仲間に誘われ、「終わりの始まり」とわかっていながら誘惑に負けたと告白。それからはヘロインの金だけがあればよかったと平然と語っています。そして少年時代の回想、15歳で自分を産んだ母親の話、最初の妻との出会い、盗みをしていた少年時代の話、もちろん薬物の話もたくさん。「二人目の妻はジャンキーでともにヘロイン漬け。そのためならなんでもやったし、俺は誰よりもキメる量が多かった」と、赤裸々な告白が続きます。そして服を脱ぎ、全身の刺青と腹部に飛び出た手術痕の説明までも。さらに、自伝を読んだ娘に罵倒されたという最近の話まで。

観ている方がつらくなる内容ですが、それらは全部「完全復活」したからこそ言えるもの。「ローリーは命の恩人」「できることはサックスを吹くことだけ」「さまざまなつらさに耐えられなくなるとき、求めるものは支えなんだ。その支えがブルースだ」「プレイするたびにこれが最後かと思う」「オレの人生はビューティフルだったのさ」と続き、ローリーとふたりで聴くレコードが、撮影当時最新のアルバム『ウィンター・ムーン』。


アート・ペッパー『ウィンター・ムーン』(ギャラクシー)
演奏:アート・ペッパー(アルト・サックス、クラリネット)、ハワード・ロバーツ(ギター)、スタンリー・カウエル(ピアノ)、セシル・マクビー(ベース)、カール・バーネット(ドラムス)、ビル・ホルマン(編曲・指揮)、ジミー・ボンド(編曲・指揮)、ストリングス
録音:1980年9月3日、4日
アート・ペッパー最初で最後のウィズ・ストリングス・アルバム。映画に出てくるのはジャケット・デザインが異なる日本盤。復帰後は50年代とはスタイルが変わり、当時評価は分かれましたが、前進する意欲こそ評価されるべきもの。

「これを作るのに55年かかったんだ」と語るアート。「この〈アワ・ソング〉は今まで作った曲でベストといっていい。ローリーがいなければ生まれなかった。オレにはこれ以上のことはできない」。そして、ふたりで満足そうにそれを聴き、「やるべきことはすべてやった。そして俺は生き残った」の言葉を最後に、ライヴ・シーン、そしてエンドロールへ。音楽の価値はそのバックグラウンドとは関係ないものですが、このドラマを知ったあとで聴くと感情移入は不可避。名演がよりグッとくるものになってしまいますね。

映画の公開は1982年の12月。アートはその半年前に脳溢血のため56歳で急逝しました。アート・ペッパーの伝説は、この映画で真実として完結したのでした。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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