前中納言匡房『百人一首画帖』より
(提供:嵯峨嵐山文華館)

前中納言匡房(さきのちゅうなごんまさふさ)こと大江匡房は、平安時代後期を代表する公卿・歌人です。学者の名門大江家に生まれ、曽祖父は歌人の大江匡衡(おおえのまさひら)、曽祖母は百人一首59番の歌で知られる赤染衛門(あかぞめえもん)という文化的家系の出身でした。

幼少期から神童として知られ、8歳で『史記』『漢書』を読みこなし、11歳で漢詩を作るなど、その才能は菅原道真に比較されました。18歳で最高の国家試験「対策」に合格し、後三条・白河・堀河・鳥羽天皇の五代に仕え、特に後三条天皇以降は政治的ブレーンとして活躍しました。

学者の家系出身でありながら、正二位権中納言まで昇進したのは異例の大出世です。和歌では勅撰和歌集に114首が入集し、『後拾遺和歌集』をはじめ多くの歌会で活躍しました。また『江家次第』『江談抄』などの著作を残し、日本最古の兵法書『闘戦経』の著者とも伝えられています。

「物知り」「口達者」を意味する「江帥」(ごうそつ)という言葉は、大江匡房の博識ぶりから生まれた言葉です。墓誌銘には「三帝の師」と刻まれ、その学識と功績が称えられました。

前中納言匡房の百人一首「高砂の~」の全文と現代語訳

高砂の をのへの桜 咲きにけり 外山のかすみ 立たずもあらなむ

【現代語訳】
遠くの高い山の峰に、桜が咲いたことだなあ。(手前にある)人里に近い山の霞よ、どうか(あの桜を隠さないように)立たないでおくれ。

『小倉百人一首』73番、『後拾遺和歌集』120番に収められています。詞書(ことばがき、和歌の前書き)によると、内大臣・藤原師通(ふじわらのもろみち)の邸宅で酒宴が催され、人々が酒を酌み交わしながら歌を詠んだ席で、「遥かに山の桜を望む」という題材で作られたもの。

遠く高い山の尾根に咲く桜が美しいのに、里に近い外山に春霞が立ち込め、眺めが悪くなってしまう。そこで、霞に呼びかけるように「どうか邪魔をしないでくれ」と願っているのです。

前中納言匡房『百人一首画帖』より
(提供:嵯峨嵐山文華館)

前中納言匡房が詠んだ有名な和歌は?

 前中納言匡房が詠んだ別の歌を紹介します。

白雲と 見ゆるにしるし みよしのの 吉野の山の 花ざかりかも

【現代語訳】
山に白雲がかかっているように見えるのではっきり分かる。吉野の山の花盛りなのだ。

『詞花集』22番に収められています。詞書には「京極前太政大臣の家に歌合し侍りけるによめる」とあり、前関白藤原師実(ふじわらのもろざね)が自邸高陽院で催した歌合「高陽院七番歌合」で詠まれたものです。

当時の貴族にとって、遠くに咲き誇る山桜は、空に浮かぶ白雲と区別がつかないほど美しく、幻想的なものでした。「白雲かと思ったら、実は桜だった」という驚きは定番の表現ですが、匡房は「白雲に見えるからこそ、桜だと確信した」と一歩踏み込んでいます。この言い切りに、知識人らしい知性を感じますね。

この歌が詠まれた歌合での評価は、実は「珍しくはないが、特に欠点もない」という少々素っ気ないものでした。しかし、時代が下るにつれ、評価は一変します。

鎌倉時代の歌論書『無名抄』の中で、名僧・俊恵(しゅんえ)は「これこそが良い歌の手本だ。派手な言葉の飾りはないが、姿が凛として清らかで、気品が高く、響きがどこまでも澄み渡っている」と絶賛しています。

前中納言匡房、ゆかりの地

前中納言匡房のゆかりの地を紹介します。

堀河天皇里内裏跡(ほりかわてんのうさとだいりあと)

匡房は堀河天皇によって催された「堀川院御時百首和歌」に詠進しています。

この里内裏は、平安京左京三条二坊九町〜十町にかけてあった、藤原基経の邸宅に由来します。その後、円融天皇の代に里内裏となり、以後、白河天皇、堀河天皇の里内裏として用いられました。

中でも堀河天皇はこの邸宅をことのほか愛し、ここで成長し、受禅、崩御したと伝えられています。平安京を代表する名邸のひとつとして知られました。

石標は、京都の堀川通り二条下る、旧京都国際ホテル前にありました。

最後に

高い山の桜を霞越しに眺める「高砂の~」の歌には、遠くの美しいものへの憧憬と、それを遮るものへのもどかしさという、繊細な心の動きが表現されています。

仕事の忙しさ、人間関係のしがらみ、あるいは自分自身の衰え。そうした「霞」が、人生の楽しみや美しい風景を隠そうとします。だからこそ、匡房のように「立たずもあらなむ」(邪魔しないでくれ)と強く願う心に、深く共感できるのではないでしょうか。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
京都市歴史資料館 情報提供システム

●執筆/武田さゆり

武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。

●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com

●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp

 

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