文・絵/牧野良幸

女優の島田陽子さんが7月に亡くなられた。清楚な役柄で人気を博した女優さんだった。昔は庶民とは別世界の人に思えた女優さんがたくさんいたものだが、島田陽子さんもその一人ではないかと思う。それだけに訃報は残念である。

そこで今回は島田陽子さんの出演映画である『砂の器』を取り上げたい。

『砂の器』は松本清張の原作を映画化した1974年の作品だ。監督は社会派映画の名作を数多く残した野村芳太郎。松本清張の原作の映画化では『張込み』や『ゼロの焦点』が有名である。

脚本は橋本忍と山田洋次だ。山田洋次は言うまでもなく寅さん映画の監督。橋本忍は黒澤明の50年代の作品『生きる』や『七人の侍』など日本映画の名作を多数手がけた脚本家で、クレジットに橋本忍の名前を見つけると、骨太で構成力のある映画が期待できた。『砂の器』で橋本忍はプロデュースもしていて、70年代に入って映画制作のありようが多様化したことがうかがわれる。

物語は東京の蒲田操車場で、初老の男の死体が発見されたことから始まる。被害者は殺害される数時間前に、犯人と思われる若い男と近くのスナックを訪れていた。

被害者はスナックで東北弁を使っていたことから東北出身と思われた。若い方が口にした“カメダ”という名前も手がかりだ。老練の今西刑事(丹波哲郎)と若手の吉村刑事(森田健作)はさっそく東北に捜査に向かった。

映画の最初は地方の風景や鉄道を映しながらの謎解きである。これはそっくりそのまま松本清張の小説のページをめくっているような面白さだ。二人の刑事役がベテランで癖のある丹波哲郎と、当時青春ドラマで人気だった森田健作という組み合わせも面白い。

島田陽子が登場するのは、東北での捜査が行き詰まったあとである。被害者の身元はわからず、犯人の足取りもつかめない。犯人は返り血を浴びたはずなのにどうして誰の目にも止まらず姿を消せたのか。

そんな時、吉村は新聞のコラムに目が止まる。中央線の電車の窓から白い紙吹雪をまいていた女のことが書かれていた。これを書いた記者は実話を、美しい女性の子どもっぽいロマンチックな風景と見ていたが、吉村には引っかかった。白い紙というのは実は衣片で、犯行時に浴びた血のついた服を裁断したものではないか。女は犯人の共謀者かもしれないと。

吉村はその女が、ホステスをしている高木理恵子(島田陽子)と突き止める。

島田陽子の初登場の場面は高級クラブである。着物姿であらわれる島田陽子のたたずまいに誰もが息をのむのことだろう。顔は冷たく無表情だが、吉村への警戒と不安がまなざしに見て取れる。それがまた島田陽子の美しさを引き立てている。

次に理恵子が登場するのは、主人公の天才ピアニスト和賀英良(加藤剛)の愛人としてだ。

私鉄の線路ぎわにある理恵子のアパート。理恵子は和賀とともにしていたベッドから起き上がると鏡に向かう。ホステスの時の冷たい表情と打って変わって、鏡に映るのは愛する男に懇願するかれんな娘だ。

「お願いがあるんです、ただ……」

「だめだよ、絶対にだめだよ!」

和賀は最後まで言わせなかった。政界の大物の娘と婚約している和賀は、愛人の理恵子に子どもを産ませるわけにはいかなかった。虐げられているのが島田陽子だけに見る者はつらい。こんなに清楚な女性を悲しませるとは非情な男だ、と和賀の性格描写もできてしまうシーンである。

次に理恵子が登場するは和賀の車の中だ。

「子どもは一人で産んで、一人で育てます」

そう言い放った理恵子は車を飛び出す。白い洋服姿の島田陽子は庶民的ではあるが、聖女のような高貴さを放つ。号泣しながら夜の路上をさまようだけで理恵子の悲劇が伝わる。このあと流産を起こした理恵子は出血により命を落としてしまうのだった。

島田陽子が出演するのはその三場面である。このあと映画は理恵子の姿を出すこともなく物語を別方向に加速させる。推理物から舵を切ってヒューマニズムを主題にした展開になるのだ。それが加賀英良の作曲した曲『宿命』を初演するコンサートと、幼い頃にハンセン病の父と放浪した回想を同時に描く劇的なシーンだ。

父子の遍路の場面は見る者の心を揺さぶる。僕も当時、映画館で見たが衝撃を受けた。映画『砂の器』はこの場面で人々の記憶に残っていると言ってもいいと思う。

このクライマックスは松本清張の原作とは違う。松本清張の原作では父親の病気や父子の放浪は簡単な記述で終わっていて、推理小説の流れを中断させるものではない。橋本忍と山田洋次の大胆な脚本化がこの映画を成功に導いたのだと思う。

島田陽子が演じた理恵子もまた脚本によって作られた登場人物である。理恵子は原作に出てくる二人の女性を一人にまとめた女性なのだ。これもうまいと思う。

しかし優れた脚本があっても優れた俳優がいなければ映画は成り立たない。理恵子がこの映画でヒロインのようにわれわれの記憶に残るのは、島田陽子の凛とした美しさがあったからだ。もし他の女優が理恵子を演じていたらこれほど記憶に残ったかどうか疑わしい。その意味でも『砂の器』は島田陽子の女優としての存在感の大きさを感じさせる映画だ。

【今日の面白すぎる日本映画】
『砂の器』
1974年
上映時間:143分
監督:野村芳太郎
原作:松本清張『砂の器』
脚本:橋本忍、山田洋次
出演:丹波哲郎、加藤剛、森田健作、島田陽子、山口果林、加藤嘉、佐分利信、緒形拳、渥美清、笠智衆、ほか
音楽:芥川也寸志、菅野光亮

文・絵/牧野良幸
1958年 愛知県岡崎市生まれ。イラストレーター、版画家。音楽や映画のイラストエッセイも手がける。著書に『僕の音盤青春記』 『少年マッキー 僕の昭和少年記 1958-1970』、『オーディオ小僧のアナログ放浪記』などがある。ホームページ http://mackie.jp

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