文/池上信次
前回(https://serai.jp/hobby/1084385)に続き「ジャズ講座」です。今回紹介するのは、指揮者で作曲家のレナード・バーンスタイン(1918〜90)の、1956年に発売されたレコード『ホワット・イズ・ジャズ』(コロンビア)。これは、もともとはテレビ番組の企画でした。1955年10月、バーンスタインはアメリカCBSテレビの教養番組『オムニバス』に出演し、「ホワット・イズ・ジャズ」というタイトルの「実演付き」ジャズ講座を行ないました。いかにもテレビ的ですよね。そしてその優れた内容は大評判となり、その企画はレコードとして作り直されたのでした。
内容は2パートに分かれていて、それぞれLPのAB面になります。パート1は「タイプス・オブ・ジャズ〜エレメンツ」。デューク・エリントン・オーケストラの「A列車で行こう」のオープニングに始まり、バーンスタインが「歴史的ではなく、音楽的なアプローチで」「ジャズがほかの音楽と異なるところを探っていこう」と、音源を挟みながらながら、また、本人がピアノを弾き、歌いながらメロディ、リズム、音色(トーン・カラー)、形式、ハーモニーなど、「ジャズの要素」を明解に説明していきます。
パート2は「ポピュラー・ソング〜インプロヴィゼイションズ」。まず本人が「きらきら星」をさまざまな形で変奏し、即興とは何かを説明したあと、バック・クレイトン、ボイド・レイバーン・オーケストラ、ドン・バターフィールド・セクステット(テオ・マセロのアレンジとテナー・サックス)が演奏する「スウィート・スー・ジャスト・ユー」(ヴィクター・ヤング作曲、1928年の人気曲)を順番に聴いて、ディキシーランド、スウィングなどジャズのスタイルの特徴を説明していきます。そして、「探究的な芸術では分裂が起きるのが必然で、ジャズの世界では伝統主義者と進歩主義者が戦いをくり広げている」と。続いて「ここには、ここまで紹介してきたジャズの特徴のすべてがありますが、それらを新しい違った形で使っています」と、進歩派の代表として紹介されているのが、ジョン・コルトレーンを擁するマイルス・デイヴィス・クインテットの演奏です。演奏の後は、「これが現在形のジャズです。これは確かな過去とエキサイティングな未来を備えた、新鮮で活力ある芸術です」の言葉で講義が締めくくられます。バーンスタインが考える(1956年時点の)現在形のジャズ=最新型ジャズは、マイルス・デイヴィス・クインテットだったのです。
このマイルスの「スウィート・スー〜」は、1956年9月10日の録音です。ディスコグラフィを見ると、この日は名演の誉れ高い「ラウンド・ミッドナイト」と「オール・オブ・ユー」も録音されていますが、それらが収録されたアルバム『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』(コロンビア)に「スウィート・スー〜」は収録されていません。マイルス・マニアにとって、この『ホワット・イズ・ジャズ』は、「オリジナル・アルバム未収録の〈スウィート・スー〜〉収録」「コルトレーン入りマイルス・クインテットの演奏が最初に発表されたレコード」として知られていました。その点では貴重な音源なのですが、裏を返せば「アルバムからもれた曲を〈企画もの〉の演奏例として使わせた」というふうにもとることができ、それ以上には評価されていませんでした。日本では1991年に通販セット商品の特典盤としてCD化、アメリカではやっと1998年にボーナストラック(バーンスタイン指揮のオーケストラとルイ・アームストロング、デイヴ・ブルーベック・カルテットとの共演)を加えてCD化されたという状況を見ると、作り手側の関心の低さもうかがえます。
このように、よほどのマイルス・ファンでも「スウィート・スー〜」は長い間「数ある中のひとつの音源」にすぎなかったのですが、2000年に発表された『マイルス&コルトレーンBOX』(コロンビア)でちょっと見方を変えざるを得なくなりました。
そこに収録されている「スウィート・スー〜」の音源は全部で4トラックあり、なかでも注目は「スウィート・スー(フォルス・スタート)〜マイルスとバーンスタインのディスカッション」という約2分のトラック。これは「テイク1」の後に、マイルスとバーンスタインが打ち合わせをするという内容です。ここでバーンスタインは自らメロディを「歌って」マイルスにイントネーションやテンポを指示しているのです。そしてその後に2テイクを演奏・収録。最終テイクが採用テイクになるのですが、ディスカッションの後は、マイルスはミュートを外し、演奏はガラッと雰囲気が変わっているのです。
つまり、「スウィート・スー〜」は「余った曲」ではなく、バーンスタインの企画のために、バーンスタインの指示のもと、特別に録音した曲だったのです。録音が同じ日であっても『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』に収録されなかったこと、またマイルスの事情(他社と専属契約中)にもかかわらずこの音源だけ先に発売されたのは当然のことだったのでした。バーンスタインは「最高のジャズ」を紹介するにあたって、「有り物」音源を使わなかったのは、指揮者ゆえのこだわりだったのか。また、マイルスの素直な(?)協力ぶりは寛大な契約を認めたコロンビアへのサービスだったのでしょうか(ちなみにバーンスタインはマイルスより8歳年上)。事情はどうあれ、バーンスタイン、マイルスともにこれは「特別な」1曲といえるでしょう。当時バーンスタインはすでに世界的に認められたクラシックの音楽家でした。彼がジャズを優れた音楽として正面から紹介することは、まだ人種差別の激しかった時代ですので、社会的にたいへんなことだったかもしれません。またクラシック・ファンからは反発もあったかもしれません。きっとマイルスはこの企画の重要性を認め、「バーンスタインだから」受けた仕事だったのではないでしょうか。「バーンスタインによるジャズ講座」には、さまざまな意味があったのです。
なお、『ホワット・イズ・ジャズ』は2015年に『ジャズとは何か』というタイトルで国内(商品として)初CD化されました(ボーナストラック付き/ソニークラシカル)。その帯には、マイルスの演奏は「バーンスタイン立会いのもとで録音」された旨が記載されています。同じ音源でも、その意味合いは時代とともに大きく変わったのでした。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。