文/池上信次

ピアニスト、ビル・エヴァンス(1929〜1980)は、没後40年以上が経った現在も後続のミュージシャンに大きな影響を与え続けています。その範囲はピアノ奏法、バンド・サウンド、作曲など、ジャズの演奏活動すべてに及ぶといってもいいほど。そのエヴァンスが、なんと「ジャズを教える」映像作品を残していたことは、知る人ぞ知るというところ。これを観ればエヴァンス先生から直々にジャズを習えるのです! それは、『ザ・ユニバーサル・マインド・オブ・ビル・エヴァンス』(映像本編上のタイトルは『The Creative Process and Self-Teaching』)という、1966年に制作されたドキュメンタリー映画。

ジャズの映像教材は現在ではまったくめずらしくありませんが、当時はほとんど例がないと思われます。そもそも、現在までに発表されたエヴァンスの映像は少なく、撮り下ろしのエヴァンスの映像作品というだけでも貴重なものといえるでしょう。当時はどのような形で公開されていたのかはわかりませんが、1990年代初頭にビデオ化、のちにDVD化されました(現在国内盤は販売されていません)。

映像は、マルチ・タレントでミュージシャンのスティーヴ・アレンが案内役を務め、ビル・エヴァンスの実兄でピアニストで教育者のハリー・エヴァンスが聞き手になり、ビルが自身のジャズ観について語るという構成です。時間は45分ですが、じつに濃い内容になっています。もちろんピアノの演奏もあります。

まず最初にアレンがほんのちょっとピアノを弾くのですが、これがビル・エヴァンスにそっくり。本編に直接関係はないのですが、ツカミは十分。そして、ジャズの演奏をクルマの運転にたとえ、「運転技術を身につけることから始まり、最終的にはそれを意識せずに運転ができるようになる」と語るイントロダクションのあと、ビルとハリーの対話になります。ジャズを知らない人が観ることを想定しているので、ジャズの専門用語は一切なし。ピアノを弾きながらですが、ピアノに限定せず「ジャズという音楽」の本質はどこにあるのかを丁寧に語り合います。以下は、そのエヴァンス語録。(ビデオ『ザ・ユニバーサル・マインド・オブ・ビル・エヴァンス』[バップ]の字幕を参考に編集)

「ジャズはクラシック音楽の歴史をなぞっている。17世紀のクラシック音楽は即興が重視された。当時は録音する方法がなかったので楽譜に書かれて残ったわけだが、そのためにその後は的確な解釈と知的な構成がクラシック音楽の主要な要素となり、即興的側面は消えてしまった。今いるのは作曲家と解釈者だけだ。ジャズも同じプロセスをたどり、今やジャズはスタイル(形式)であると考える人のほうが多くなった。だが、ジャズは作曲の過程そのものなんだ。1分の音楽を1分で作曲するということだ。クラシックは1分の音楽を3か月かけて作ったりするが、そこだけが違う。忘れてはならないのは、ジャズは自然発生的(スポンティニアス)な創造の過程そのものだということだ。ショパン、モーツァルト、バッハら、即興すなわち瞬間を音楽に表現できる人たちは、ジャズ奏者と同じだ。スタイルではないんだ」

最初の発言からこれです。この映画が制作された1966年は、エヴァンスは自身のトリオで、マイルス・デイヴィスはクインテット(『E.S.P.』)で活動中。ジョン・コルトレーンはフリー・インプロヴィゼーションに邁進していました(来日した年)。「スタイル」は多様でも、それらは同じくジャズであると、いきなり「本質」に迫っていくのですが、やはり説得力が違います。うなずくしかないですね。さらにこう続きます。


ビル・エヴァンス『ア・シンプル・マター・オブ・コンヴィクション』(ヴァーヴ)
演奏:ビル・エヴァンス(ピアノ)、エディ・ゴメス(ベース)、シェリー・マン(ドラムス)
録音:1966年10月4日
映画が撮影された1966年、エヴァンスは『アット・タウン・ホール』、ジム・ホールとの『インターモデュレーション』、そしてこのアルバムの3枚を録音しています。解説の題材にしている「スター・アイズ」は、このアルバムでも演奏しています。

「創造の過程としてのジャズでいちばんスリリングなのは、録音したレコードをあとで聴くことだ。演奏中になにが起こっているかを確認してびっくりする。面白いことだが、優秀なクラシックの作曲の先生ほど、音楽は即興的に響かなくてはならないと生徒に教えている。つまり芸術としての音楽というのは、自然発生的な要素がなくてはならないということだ。だからジャズはスリリングなんだ。つねに自然発生的に創造されているのだから。クラシック音楽では、それが18世紀に消えてしまっている」

では、ジャズの演奏ではどのように「即興」が行なわれているのか。ハリーは視聴者に向かって「君(ビル)を使って説明しよう」と、ビルに演奏を指示します。スタンダードの「スター・アイズ」を題材に、まずはメロディだけを弾かせ、次にそこにハーモニーを重ねさせます。そして即興パートに移り、「ビル、そこに自分のハーモニーを付けてくれ」と、メロディが次第に「エヴァンスの音楽」になっていく様は、まさにタイトルどおりの「クリエイティヴ・プロセス」。ハリーは、「ジャズの特徴は自由と独創性にある」とまとめるのですが、ビルはそこにとどまりません。

「自由と独創性はあるが、忘れてはならないのは、そこには制限があること。オリジナルのフォームを無視してはならない。制限がないところに自由は存在しない。枠があるからこそ外したくなる。そこに意味があるんだ。ピアノを弾くときは、いつもオリジナルの曲がもっている堅苦しさと戦っているんだ」

自由と制約のぶつかり合いの最良ポイントを見つけることが、ビル・エヴァンスのジャズなんですね。ビルは意外に饒舌です。よどむことなく話し続けます。しかし、「ビル・エヴァンスのピアノ・スタイル」についての言及はありません。「スタイル」についてはこう語っています。

「単純であっても本物であること。そこから発展が生まれる、奏法だけを真似ても発展はない」

「もっとも危険なのはスタイルを教えがちだということだ。レノックス・ジャズ・スクールで教えたとき、11人の生徒がいた。そのうちの8人までが、コードの勉強を嫌った。すでにあるものを弾くのはマネになると言う。練習を逃れる口実でね。しかし核心は衝いている。ジャズを教えるのなら、スタイルではなく本質を教えるべきだ。これは非常に難しい。だからジャズはやっかいだ。本気でジャズを学ぶ気なら自分で学ぶしかない。ジャズ・プレイヤーは自分の感性で取捨選択すべきなんだ」

ハリーは自分を含め、それを教えるのが教育者の仕事と言いますが、ビルは肯定しません。ビルは、ハリーに乞われても自分の奏法を教えることはなかったといいます。最初にスティーヴ・アレンがビルのことを「教育者であり、哲学者でもある」と紹介していたのですが、まさにそのとおり。優れたジャズ・ミュージシャンは、教えなくても教育者であり、その姿勢はまるで哲学者なんですね。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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