前回、マイルス・デイヴィス「マラソン・セッション」で、ジョン・コルトレーンは1956年の5月から10月の間に飛躍的に上達したと紹介しました。そしてプロデューサーは、その「出来のいい」10月セッションから順番にアルバムに収録して順次発売したと書きましたが、じつは1曲だけその『ing』4部作に収録しなかった10月の音源があるのです。これ、考えていくとけっこう謎なのです。今回は、さまざまなデータからその謎を解いていきましょう。
収録しなかったその1曲とは、「ラウンド・ミッドナイト」。マイルスはプレスティッジ・レコードから大手コロンビア・レコードへの移籍にあたって、契約枚数消化のためにマラソン・セッションを行なったのですが、なんと移籍第1弾アルバムのタイトル曲になった「ラウンド・ミッドナイト」(アルバム・タイトルは『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』)もマラソン・セッションでは演奏していたのです。「消化試合」だからマラソン・セッションではリハーサルのつもりで録音した、と考えると合点もいくのですが(というのもひどい話ですが)、そうではありませんでした。
コロンビアの『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』のセッションは、2回のマラソン・セッションの間となる1956年6月5日と9月10日。つまり10月のマラソン・セッションが後で、「ラウンド・ミッドナイト」を「もう1回」録音していたことになるのです。マイルスは同じメンバーによる同じ楽曲を、しかも同じアレンジで2つのレコード会社からリリースしようとしていたのでしょうか。これが第一の謎。
前回紹介したように、マラソン・セッションの音源はマイルスのコロンビア移籍後、プレスティッジからゆっくりとしたペースでリリースされました。プレスティッジは、大手に移籍してますます有名になっていくマイルスの人気をうまく利用したわけです。『クッキン』57年、『リラクシン』58年、『ワーキン』61年、『スティーミン』が62年リリースですが、プレスティッジはこの間に、これらのマラソン・セッション音源のほかにもマイルスの音源でアルバム2枚をリリースしています。ひとつは57年末リリースの『バグス・グルーヴ』、もうひとつは59年リリースの『アンド・ザ・モダン・ジャズ・ジャイアンツ』です。
『バグス・グルーヴ』はすべて1954年録音の音源で、既発売10インチLPの12インチ新装版。『アンド・ザ・モダン・ジャズ・ジャイアンツ』も同様の12インチ新装版なのですが、56年の「ラウンド・ミッドナイト」1曲が追加になっているのです。どうしてわざわざ1曲だけ54年の音源とセットにして出したのでしょうか? セッションで一緒にやっているセロニアス・モンクの曲だから、との見方もできますが、マラソン・セッションではほかにもモンクの曲を演奏していますので、そういうわけではないでしょう。コロンビアの『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』は57年にリリース(移籍したのですから当然すぐ出しますよね)されているので、同年リリースの『クッキン』に収録していれば、最新の(おそらくヒットした)「別ヴァージョン」として注目されたかもしれないのに……、とも思えます。どうしてこの1曲だけ59年まで保留し、『ing』シリーズに入れなかったのか。これが第二の謎。
ここからは想像(これが楽しいのですが)。まず、この「もうひとつの名演」はマイルスからプレスティッジへの特別な置き土産だった、ということ。マイルスは、『ラウンド・ミッドナイト』はきっとヒットして、その別ヴァージョンは「売り」になるから適当なタイミングを待って出せ、と。なぜならマイルスは、スムースな移籍を認めたプレスティッジに恩義を感じていたから(なにせ、契約が終わらないうちに他社の録音を始めているのですから)。これがひとつめの謎の答え。
となれば、第二の謎は謎はでなくなり、「ジャイアンツと共演」という豪華なアルバム(初12インチ化、つまりひさびさの復刻です)に、スペシャルなオマケとして「ラウンド・ミッドナイト」を入れたと考えらえます。コロンビア版が、名演としての認識が定着したころであれば音源のヴァリューも高まり、コロンビアともケンカにはならず、しかも「美談伝説」にもなりますから、マイルスにもプレスティッジにも、これはいい話ではないでしょうか。
……我ながらいい推理だと思いますが、でも、そんなストーリーはまったく伝えられていませんね。理由はきっとこれ。この『アンド・モダン・ジャズ・ジャイアンツ』は、マイルスとモンクがセッション中に険悪になったという伝説の「ケンカ・セッション」のエピソードが有名です。これが有名になりすぎたために、このアルバムの紹介ではまずこちらが出てくることになり、いつしか「ラウンド・ミッドナイト」の美談はその陰に完全に隠れてしまった、という読みはどうでしょうか。昔も今も、「炎上」のほうが話題になりやすいということなんでしょうね(なお「ケンカ・セッション」伝説は、今では事実ではないということになってます)。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。