はじめに-富士の巻狩りで起きた事件とは

「富士の巻狩り」とは、鎌倉時代に源頼朝が催した富士山麓の狩りのことです。そこで、曾我(曽我)兄弟が仇討ちを行うという事件が起こりました。若き兄弟が父の仇である工藤祐経を討ったこの事件は、のちに“日本三大仇討”の一つとして謡曲・歌舞伎などの題材となりました。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、曾我兄弟は仇討ちのために生きる兄・曾我十郎祐成(そがじゅうろうすけなり、演:田邊 和也)と弟・曾我五郎時致(そがごろうときむね、演:田中 俊介)として描かれます。

二人が命を賭した戦いの舞台となった「富士の巻狩り」とは、どのようなものだったのでしょうか。

目次
はじめに-富士の巻狩りで起きた事件とは
富士の巻狩りをなぜ行ったのか?
関わった人物たち
この事件の内容と結果
富士の巻狩り、その後
まとめ

富士の巻狩りをなぜ行ったのか?

平氏を滅ぼし、奥州征伐も終えた源頼朝は、後白河法皇の死にともなって念願の征夷大将軍となりました。頼朝は名実ともに天下人としての地位を築き、鎌倉幕府を不動のものとしようとします。そこで頼朝は、鎌倉幕府の力を天下に示し、御家人や武士たちの士気を高めるために、狩りを兼ねた一大軍事演習を実施しました。建久4年(1193)、富士の裾野(=現在の静岡県御殿場市付近か)で実施したため「富士の巻狩り」と呼ばれます。

「巻狩り」とは、狩り場を四方から囲み、その中に獣を追い込んで捕らえる狩りの方法を指します。中世には軍事訓練だけでなく、遊興や神事祭礼という側面もあった狩競の一種でした。大規模な巻狩挙行は、武芸の鍛錬という武将の重要な要素を内外に示す役割を担っていたとされます。

富士の巻狩りを楽しむ、朱の傘をさした源頼朝(山本仁商店所蔵『曽我物語図屏風』より)。

この際、当時12歳であった頼朝の嫡男・源頼家が初めて鹿を射とめたことで、頼朝は大いに喜んで、祝宴を催したと伝えられています。頼朝にとって、この巻狩りは頼家が武家政権の後継者にふさわしい資格を有することを誇示する祝宴でもあったと言えるでしょう。

そして「鎌倉」の武芸を天下に示す晴れの舞台には、多くの御家人が参加しました。『吾妻鏡』には北条義時、足利義兼、畠山重忠、三浦義澄、三浦義村、和田義盛、梶原景時など、有力御家人の名があり、数え切れないほどの射手が参加したと記されています。その参加者の一人に、伊豆の豪族で頼朝に仕えた工藤祐経(すけつね)という人物がいました。彼は過去に、所領の争いから同族である河津祐泰(かわづすけやす)を殺害。これにより、祐泰の遺児である曾我十郎祐成・五郎時致兄弟の恨みを買っていました。

曾我兄弟は、伊豆半島海岸一帯に勢力を張った有力武士団・工藤氏に生まれました。兄弟の父が殺害されると、母は同じ工藤一族で、相模国曾我荘(=現在の神奈川県小田原市)の曾我祐信(すけのぶ)に再嫁しました。それにより兄弟は「工藤」ではなく「曾我氏」を名乗るようになったとされます。成人にまで成長した兄弟は工藤祐経を狙いましたが、仇討の機会がなかなか得られませんでした。

そんな中、建久4年(1193)5月、ついに兄弟は仇討の機会を得たのでした。それが、この「富士の巻狩り」だったのです。

関わった人物たち

富士の巻狩りに関わった、主な人物をご紹介しましょう。

曾我兄弟

・曾我十郎祐成

鎌倉初期の武士。河津祐泰の子で、「十郎」と称した。曾我兄弟の兄。

・曾我五郎時致

鎌倉初期の武士。河津祐泰の子で、「五郎」と称した。曾我兄弟の弟。

工藤祐経方

・工藤祐経

頼朝に仕えた伊豆の豪族。所領の争いから同族であり、兄弟の父である河津祐泰を殺害した人物。

・仁田忠常

頼朝の家臣。仇討のために宿へと侵入した兄・祐成を討ち取った人物。

・五郎丸

武家に仕えて雑用を務めた小舎童(ことねりわらわ)。弟・時致を生け捕った人物。

・源頼朝

富士の巻狩りを開催した人物。捕らえられた弟・時致を救おうとするも、祐経の子・祐時の請いにより時致を斬る。

この事件の内容と結果

建久4年(1193)5月、ついに兄弟は巻狩りに参加する工藤祐経の宿を突き止めます。その夜、兄弟は父の仇を討とうと、風雨を冒して宿へと侵入。まず誤って備前国の住人・王藤内(わとうない)を討ち、ついに仇である祐経を討つに至ります。その後、出会った10人の侍たちを斬ったとされています。

そののち、兄・祐成は頼朝の家臣・仁田忠常(ただつね)に討たれます。一方、弟・時致は頼朝の寝所を目指して進むうちに、小舎童である五郎丸に生け捕られました。翌日、取調べにあたった頼朝はその剛勇を惜しみ、時致を救おうとしました。しかし、祐経の子・祐時(すけとき)の請いによって、時致は斬られたと伝えられています。

捕らえられた曾我五郎時致と相対する、源頼朝(山本仁商店所蔵『曽我物語図屏風』より)

富士の巻狩り、その後

大規模な催しの中で起こった「曾我兄弟の仇討ち」は、巻狩りに集まった多くの東国武士に鮮烈な印象を与えました。その東国武士の語る曾我兄弟の話が語り継がれ、『曾我物語』としてまとめられました。『曾我物語』は、兄弟の不運な生涯とその悲劇的な最期が、民衆の間に共感を呼び、文学や能、浄瑠璃、歌舞伎の世界でも盛んに取上げられました。

兄弟らの悲しき仇討ち事件の舞台となった富士の巻狩りから6年後の正治元年(1199)1月、頼朝が亡くなります。彼の死後、将軍となったのは子である頼家でした。富士の巻狩りでは、頼家が武家政権の後継者にふさわしい資格を持っていると誇示しました。このことから、この巻狩りは、武家政権の行く末を2代目となる頼家に託すための仕上げの行事だったと言えるでしょう。

ただこの後の幕府は、頼家による幕政よりも「十三人の合議制」という体制を選択することとなります。そこから始まる有力御家人らの権力闘争へと繋がる一連の流れも含めて、富士の巻狩りは鎌倉初期の大きな行事となりました。

まとめ

武将たちの晴れ舞台、そして、兄弟らの悲しき仇討ち事件の舞台となった富士の巻狩り。頼朝の幕政に対する憂慮、曾我兄弟による父の仇を報いた孝心、兄弟の慈しみなど、様々な思いが交錯する出来事となりました。事件を通して、当時を生きた歴史的人物らの人間模様が、色濃く感じ取れるのではないでしょうか。

文/トヨダリコ(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
アニメーション/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
HP:https://kyotomedialine.com FB
協力/山本仁商店(https://www.yamamotojin.com FB

山本仁商店が所蔵する『曽我物語図屏風』は、2022年の祇園祭の後祭、右記の期間(7月21日22日23日13時〜20時)本社社屋の玄関広間にて展示公開予定。

引用・参考図書/
『⽇本⼤百科全書』(⼩学館)
『世界⼤百科事典』(平凡社)
『国史⼤辞典』(吉川弘⽂館)

 

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