はじめに-富士川の戦いとはどんな戦いだったのか
源平合戦(治承・寿永の乱)の緒戦で敗れた源氏。再決起を果たした頼朝が、その後挑んだ戦いが「富士川の戦い」です。平氏が水鳥の羽音で逃げ出した、という有名なエピソードが起こった戦いとして記憶している方も多いのではないでしょうか。今回は「富士川の戦い」を取り上げ、その流れや関わった武将、戦いの結果を解説していきます。
目次
はじめに-富士川の戦いとはどんな戦いだったのか
富士川の戦いはなぜ起こったのか?
関わった武将たち
この戦いの戦況と結果
富士川の戦い、その後
まとめ
富士川の戦いはなぜ起こったのか?
治承・寿永の乱、世にいう「源平合戦」は、治承4年(1180)に始まり、およそ10年にわたり全国的に展開された源氏と平氏の武家棟梁の覇権争いのことを指します。
同年8月、「石橋山の戦い」で平氏に大敗を喫した源氏は、安房(=現在の千葉県房総半島)に逃れます。そこで、在地の豪族である千葉常胤(つねたね)や上総広常(ひろつね)らが集い、彼らを味方につけたのでした。房総半島の有力武士たちとともに再決起を果たした源氏軍は、大軍を率いて武蔵国(=現在の埼玉県・東京都・神奈川県にわたる地)へと入ります。
一度は敵対した畠山氏ら武蔵の武士たちも頼朝の軍門に降るなど、強大化する勢力とともに、治承4年10月6日、頼朝は鎌倉入りを果たしたのでした。これに対し、平清盛は軍兵を派遣。そうして同月20日に、駿河国(=現在の静岡県中部)で平氏の追討軍と頼朝軍とが衝突したことで始まったのが「富士川の戦い」です。
関わった武将たち
富士川の戦いに関わった、源平の主な武将をご紹介しましょう。
源氏方
・源頼朝
源氏の嫡流。富士川近くの賀島(=静岡県富士市)まで、軍勢を進めます。
・北条時政(ときまさ)
伊豆国の在地武士。頼朝の妻・政子の父。甲斐源氏とともに駿河国へ進攻します。
・北条義時(よしとき)
伊豆国の在地武士で、時政の子。源氏軍として父と共にこの戦いに参戦します。
・武田信義(のぶよし)
武田信玄の先祖にあたる甲斐源氏の棟梁。以仁王が平家の打倒の令旨を受け、一族を率いて挙兵。頼朝に呼応して駿河国に侵攻し、平氏方の現地連合軍を撃破します。
平家方
・平維盛(これもり)
源氏追討軍の総大将を務めた人物。平清盛の孫にあたります。
・大庭景親(かげちか)
相模国(=今の神奈川県)の有力武士。「石橋山の戦い」で平家方の総大将を務め、源氏軍を苦しめましたが、この戦いにて源氏に敗れます。
・伊東祐親(すけちか)
伊豆東部の武将。この戦いにて源氏に捕らえられ、娘婿・三浦義澄(よしずみ)に預けられます。
・橘遠茂(たちばなのとおもち)
駿河の現地平氏方の勢力。甲斐源氏の軍勢により壊滅します。
この戦いの戦況と結果
東国源氏の反乱を鎮圧するために下向した平維盛を総大将とする平氏の遠征軍は、治承4年(1180)10月18日富士川西岸に布陣します。一方、源頼朝は、20日に富士川近くの賀島まで兵を西進させました。
しかし、この戦いの主導権は、すでに14日に富士山西麓(せいろく)にて駿河・遠江両国の平氏方の現地連合軍を撃破していた甲斐源氏の手中にあったとされています。その甲斐源氏・武田氏の軍勢が、20日夜半、遠征軍の背後に進出しようとしたところ、これに驚いて飛び立った水鳥の羽音を大軍の来襲と誤認した平氏軍は総崩れとなって敗走したという逸話が伝えられています。
この勝利により、東国における源氏の優位が確立したとされています。富士川を挟んで対峙した平氏方と源氏方ですが、この戦いは本格的な合戦がおこなわれることなく終結しました。というのも、清盛が差し向けた追討軍のなかには逃亡者が相次ぎ、撤退を余儀なくされたからです。このため、戦いは頼朝側の快勝に終わったのでした。
また、富士川の戦いにまつわる一つのエピソードがあります。治承4年10月21日、富士川で平家軍を敗走させ、黄瀬川の宿に戻っていた頼朝のもとに、面会を求める一人の若者がいました。それは、弟・義経でした。義経は、兄である頼朝の挙兵を知り、奥州平泉より駆けつけたのです。
頼朝は涙を流して義経の手を取り、再会を喜んだと伝えられています。ちなみに、駿東郡清水町の八幡神社には、その際2人が腰を掛けたという“対面石”が残されています。その後、義経は頼朝の指示下に入り、兄・源範頼(のりより)とともに平氏討伐において活躍しました。
富士川の戦い、その後
その後、頼朝は軍をさらに西へ進めようと考えますが、関東の武士らに反対され、一旦鎌倉に戻り、関東の支配を盤石にします。そして、共に戦ってくれた武将たちの所領の安堵と敵から没収した所領分配、つまり本領安堵と新恩給与を行いました。ここに武士の棟梁と御家人の間に、御恩と奉公に基づく主従関係が確立したのでした。
まとめ
平氏方の撤退により、源氏が勝利を収めた「富士川の戦い」。合流した義経を含め、源氏がますます結束を強めていく一方、平家はますます混迷していくのでした。それに呼応するように、ここから戦況は源氏の優勢へと傾くことになります。今後の戦況に大きな影響を与えた富士川の戦いを知ることで、源平合戦の中盤の流れを捉えることができるのではないでしょうか。
文/豊田莉子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
アニメーション/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
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引用・参考図書/
『⽇本⼤百科全書』(⼩学館)
『世界⼤百科事典』(平凡社)
『国史⼤辞典』(吉川弘⽂館)