現存する作品

運慶の制作は造仏の盛んだった当時でも例のないほど多く、実力もさることながら、人気のほどが察せられます。約60年にわたる仏師としての生涯における作品は、多くの文献上で記録されています。

しかし、運慶の確実な遺品として現存するのは、奈良・円成寺の「大日如来像」、静岡・願成就院の「阿弥陀如来・不動・毘沙門天像」、神奈川・浄楽寺の「阿弥陀三尊・不動・毘沙門天像」、高野山不動堂の「八大童子像」、奈良・興福寺北円堂の「弥勒・無著(むじゃく)・世親(せしん)像」、快慶と合作の東大寺の「金剛力士像」の10体前後にすぎません。

作風

運慶の作風は、父・康慶に見られた写実主義的傾向をさらに推し進めたものです。平安末期に流行していたのが貴族趣味的な像であるのに対し、運慶のものは男性的な風貌・堂々たる体軀・複雑で彫の深い衣文・自由な動きを持つ姿態などに特色が見られます。これまでの流派に対する意識的な反抗は、平安王朝文化の否定という、当時の一般的な文化現象にも通じているといえるでしょう。

そして、奈良の地で天平以来の彫刻の古典を学んだ運慶は、古典を総合し基礎を固めたのでした。彼の作品は、当時の武士階級に喜ばれ、幕府をはじめ、諸豪族の注文も多かった、と伝えられています。

晩年とその後の慶派

晩年には自ら「地蔵十輪院(じぞうじゅうりんいん)」という寺院を建て、一門の子弟と共に多くの造仏をしました。いま京都・六波羅蜜寺に伝わる「地蔵菩薩座像」はその本尊といわれています。没年は、貞応2年(1223)12月11日、75歳前後で亡くなったと推察されます。

運慶には湛慶、康運、康弁、康勝、運賀、運助の6人の子息があったといわれ、多くのすぐれた子弟を育てました。彼らは運慶のあとも引き続いて活躍したため、鎌倉時代前半の彫刻界は運慶中心の慶派の時代でもあったのでした。彼の作風は、関東の彫刻にも大きな足跡を残し、いわゆる鎌倉地方様式も、この運慶様を基としています。運慶は、規範として、長く日本の彫刻に影響を与えたといえるでしょう。

まとめ

優れた手腕によって仏師としての地位を高めるとともに、鎌倉時代彫刻様式の根幹を形づくった「運慶」。今も残されるその力強い作品から、彼の魂を感じ取ることができます。動乱の世の中で活躍した運慶を知ることで、“鎌倉”という時代をより深く理解することができるのではないでしょうか。

文/トヨダリコ(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
アニメーション/鈴木菜々絵(京都メディアライン)
HP:https://kyotomedialine.com FB

引用・参考図書/
『⽇本⼤百科全書』(⼩学館)
『世界⼤百科事典』(平凡社)
『国史⼤辞典』(吉川弘⽂館)

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